写本

□青衛霖北
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 豪奢な寝室の中、両腕を縛る鎖が灯火にきらめく。鎖を赤い梁に架けて腕を吊し上げると、身じろぎはおろか顔を背けることも難しい。
 猿轡を噛まされているのは、自害を防ぐためではない。乱れた、きな臭い銀髪の奥で、血走った紅い瞳を爛々と光らせ、ひたすら宿敵の急所を望む豺狼の牙を封じるのだ。
 獄舎ではなく、香を焚いた寝室に引き据えられている理由は、考えたくないことだった。
 まさか虜囚を拷勘しながら女や酒を愉しむほど、袁紹という男は狂ってはいまい。
 やはり、考えたくはない。が、思考をそらすほどの余裕もなかった。
 玉簾の巻き上がる音、扉の開く音に、猛々しくも魂の死んだような虚しい瞳が動いた。

「お前が、公孫伯珪か」

 袁紹としては、期待したより荒んで汚らしいことにいささか憮然としていた。
 が、心から病み衰えた美貌を見いだした瞬間、想像よりはるかに興をかき立てられた。
「ああ、そういえば、顔を見るのは初めてだな」
 残酷な遊びを思いついた。
「俺が出ずとも、いつも戦は片付いたゆえ…」
 赤く潤った、暗い暗い淵が渦巻いている。それは怒りか、憎悪か、それとも悔しさか。
「お前程度、俺が相手をするまでもない。だから、お前が必死に戦おうと、俺には関係がなかったということだ」
 低く笑いながら、見開いた大きな瞳を覗き込んだ。
「俺の目に狂いはなかった」
 冷ややかに睨みつける公孫瓚に対し、袁紹は薄く嘲笑する。
「お前は、躾るまでが面倒そうだが――」

“堕ちれば誰より淫らになれる”

 その一言が公孫瓚の怒りに火をつけた。
 血走った目を見開き、声にならない声を喉が潰れるほど呻いている。
 凄惨な狂乱を嘲笑っていた袁紹だが、その目は確かに油断ない捕食の光で公孫瓚を捕らえていた。
 とはいえ、袁紹自身は利かん気の強い奴隷など許さない。
「お前はよくよく愚かだな…」
 哀れむような声で、思い切り頬を張った。
「抗ったところで、お前に誇りも名誉も戻らん。お前を生かすのは俺の意思だ、そして、それがお前の余生すべてを決める。絶対的に、だ」
 赤い大きな瞳から溢れる涙を、どう愛でればよいか。
 よい表情だ。
 誇り高いがゆえに絶望し、それでも折れない矜持のゆえに自ら苦しむ。
「その顔だ…俺が求めてきた…」
 男らしい、節の目立つ長い指が、つややかな銀髪、喉を弄い、煤けた着衣を引き裂いた。
「――っ!」
 愕然とする表情が、よりいっそう歪んだ欲望を煽る。
 燭台の蜜のような光を映した瞳に、歪んだ笑いを浮かべる己を見る。
 醜いとは思わない。
 欲する存在を手に入れた証にすぎないからだ。





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