写本

□嬌景素
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彼と交わすくちづけが好きだ。

謎めいた笑いを浮かべながら、ゆっくりと、深く、とても深く。

近づく体温。静かな――けして欲望にうわずらない――呼吸。唇が触れる前に感じる感覚すべてが、密やかな快楽と感じる。
そのまま濡れた粘膜の中へ迎えられて、唇と舌と腔だけでたわぶれる。
それは口唇を使った淫(たわ)ぶれの情事だ。

細くて柔らかい髭の感触は、まぎれもない彼のものだ。
髭と同じような細い髪は、きれいに編まれて、思わず襟を握っている手にかかったりする。そのとき髪からふと匂う、薄い香料がいとおしい。
褥の中であれば、そのまま押し倒されて、ほどけた長い髪が自分の周りに優しく帳を作ってくれる。
白昼であれば、やりばのない熱情を込めて、絹紐のようなそれを掴んでやるまで。
陶然とする瞬間が過ぎて、ふと息を継ぎたくなると、いつも彼が察したように唇を離す。
なぜわかるのか、聞いてみたが、彼もよくわからないようだ。

それはともかく、唇を離した直後、最初に目に入る司馬懿の表情――年上の余裕と、他人には決して見せない、ふしぎな優しさを湛えた眼差しは、曹丕がもっとも好きな表情のひとつだ。
そして、濡れた唇を舐めながら、紅い目元をきゅっと微笑に染める、妖艶なのに子供っぽい曹丕のしぐさが、司馬懿のお気に入りだ。

「なあ」

時折、我慢が効かないのか、悪戯っぽい挑発なのか、細い黒い指先が差し招いてくることがある。

「続き、しよう」

わざといとけない言葉遣いで、にんまりと笑いながら誘ってくる様は、ぞくぞくするほど妖しく、艶やかに過ぎる。

断ったら、
「……ばか」
つまらなさそうに鼻を鳴らし、すねたようにさっさと机へと戻ってしまう。
その様子が、また司馬懿にはいとおしく思える。

では、誘いに乗ってみたら?

扉一枚隔てた公の密室で、気まぐれで残酷な美人を犯すことになる。
嫌がるのを口づけで黙らせて、無理やり抱いてしまえば、後はおとなしく乱れてくれる。

どんな風であろうが、結局、曹丕は司馬懿の指先や囁きを待っているのだ。
そういう自負が司馬懿にはあるし、曹丕は曹丕で、いつだって彼を自由にできるのは自分だと、愛しさと背反の優越感で甘えを見せる。

ふたりのやり方は、こういうものだ。






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