「随分と、お変わりになりましたね、伯珪兄」 本音でものを言うのは久々だった。 いたたまれなくなるぐらい、変わってしまったと思う。 ばかみたいな規格の高楼は、薄ら寒いほど風通しがいい。 そのはずなのに、ここは夜のように暗い。空気が重く、淀んでいる。 ここには、生きている命がない。 真っ暗な宮室の中で、伯珪はどうやって息をしているのだろう。 「どうやって入った」 たっぷり沈黙した後で、ようやく口を開いた伯珪が言ったのは、それだけ。 ささくれ立った視線が、こちらを監視するように突き刺さる。 ともし火の明かりにもぎらぎらと光るそれが、不愉快だった。 「冷たい仰りようですね、抜け道を教えてくださったのは伯珪兄ですよ?」 「抜け道などない。そんなものは最初から作っておらん」 「一度入れば二度と出る必要がない、ですものね」 「貴様……」 刺のある物言いが癇に障ったのか、伯珪はいっそう鋭く、凄みのある目で睨みつけてくる。 ほんとうにいやな目だ。暗くて、ただ恐ろしいだけだ。 「あなたの“義弟(おとうと)”さんから頼まれたのですよ。お別れの挨拶をね…!」 おおげさな身振り手振りで伝えた内容は、しかし、伯珪にとってさしたる感慨を呼び起こさなかったらしい。 彼はほんの少し、息を吐いただけだった。 「そうか」 冷淡な反応が、かえって不満だ。 子龍が去ってしまった今、もう誰がいなくなろうと――彼からすれば“裏切ろうとも”――興味がないのだろうか。 「なぜ、そうも平然としているんです」 冷たく無気力な伯珪を前にして、俺は理不尽な苛立ちを感じていた。 もっとも、伯珪にとっても、誰が見ても理不尽に思うだろうというだけの話だ。 俺は孤独に打ちひしがれた伯珪が欲しいのだ。 すがるものを求めて、俺を必要とするほどに弱った彼が。 そうでもしなければ、彼は決して俺のものにはならないから。 「ねえ、伯珪兄」 あなたは気づいているのだろう? 己の立場を変えまいと貫いた誇りが、かえってあなたを縛りつけ、追い込んできたことに。 (でも、今となっては、もうどうしようもない。こんな牢獄に逃げ込んでしまったのだから、もう出られない) 「そうだ、俺は何も変わってはおらん。変えてもいない……変わったのは、ただ人の心よ」 幾分、興奮した様子で反駁する伯珪兄は、傷ついた表情をしていた。 ずっと隠しおおせてきた、人に去られる痛み。 その傷が伯珪の中で血を流すのを、俺は今、確かに見ている。 「ですが、あなたは人を信じることができたはずですよ」 「玄徳、俺の前でも君子になりきるつもりか。……俺は人を信じたことなどない。少なくとも初めて会う者は」 そう、それは知っている。 だけど、一つだけ、大きく変わったことがあるだろう? 「でも、少なくとも以前のあなたは、人を信じようとはしていたでしょう」 悔しそうにこちらを睨みつける目。 少し前までの刺々しい光が和らいで、うつくしかった。 「今のあなたは、人は必ず裏切ると思っている。最初から人を信じないと誓っている人を信じる者も、またいない。ねえ、解ってるんでしょう、伯珪兄……人を変えたのは、あなたなんですよ…!」 伯珪はしばらく、怒りとか悲しみといった感情の、特に烈しい部分がせめぎあっているような表情で、こちらを見つめていた。 そうして、うめくように呟いた。 「出て行け…!」 俺は素直に従った。 深くうつむいた伯珪は、恐らくは泣いていたのではないだろうか。 でも、俺はそれを無視した。 彼自身が耐え切れなくなるまで、それまでは、孤独に苛まれてもらわなければ。 扉を閉めて、一瞬だけ聞き耳を立てたとき、低い嗚咽が聞こえた。 俺は、少しだけ後悔した。 でも、それだけだった。 みすみす死なせるつもりはないけれど、まだ早い。 伯珪が孤独に耐え切れなくなるまで、俺は手を差し伸べるつもりはない。 すがり付いて、俺を求めてくれるようになるまでは。 何もかも俺に勝っていたあなたが、ずっと欲しかった。 毅然と美しいあなたが、その実、こんなにも傷つきやすいなんて知ってしまえば、総身で抱きしめてあげたくなった。 あなたを守ってあげたいんだよ、伯珪。 だけども、あなたは決して人を信じず、すがることも屈することもしない。 だから、あなたを支える何もかもを叩き折ってやりたくなった。 |