招かれたのは、正しく僥倖であろうと思った。 己のことを何一つ知らぬ世界、王朝、そして人。 あの煩わしい孺子も、ここにはいない。 何もかもが、彼に味方していた。 何より悦ぶべきは、この国は彼の故国とまったく同じ――「魏」であるということだった。 「気に入らんな」 玉座に就いた皇帝は、いともあっさりと言い捨てる。 差し出す“忠誠”という名の偽りを、弾かれたのは初めてだった。 「俺は、野心を矯めようとせぬ男を使うほど、情け深くはない」 仲達は黙って、跪拝する。 「主に屈さぬ奇才など不要。ただ粛々と天下国家に尽くす官僚がおれば良い」 冷酷な性格に反して、この少壮の君主が求めるのは、極めてありふれた、安定した社会であるらしかった。 ――なるほど、上手くゆかぬわけだ。 仲達が剣を抜くより早く、曹丕の突きつける長剣の切っ先が、仲達の喉元をかすめた。 「動くな」 その動作、表情、口調。 仲達が知っている、もうひとりの曹丕とは似て非なる、凍てついた鋭さがあった。 「ここは貴様の故地ではない。その力も振るいようがない。貴様に許されるのは――」 ひゅっ、と空を切り裂いて、切っ先が鞘へと帰る。 「朕の世界の力だ」 浅く抉られた喉が疼く。 今まで、どのような傷も、痛みと覚えたことはないというのに。 「貴様にできることは、“この世界に従う”――ただ、それだけだ」 忘れるな、と、形の良い唇があざ笑う。 「俺には、いつでも貴様の首を刎ねる用意がある」 そう宣言すると、この世の半分を治める天子は、ゆっくりと唇を引き結んだ。 悠々と足を組み、ぞっとするほど美しい眼差しを下す。 それが何を命じているのか、仲達には理解できた。 冷たい憤怒を溜めた喉が、呼吸に鋭く音を立てる。 傷が、ひときわ疼いた。 「仰せのままに、――我が君」 跪いていても、伏せた顔の向こう、玉座の上で、曹丕が微笑んでいることは解っていた。 了 |