写本

□虞淵
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 動揺収まらぬ初平元年、幽州北平の国境は、中原の混乱に乗じた異民族の侵入と、それを阻止せんとする長史・公孫瓚との激戦が繰り広げられていた。
 機動力の高さを生かした急襲、略奪を得意とする烏桓や鮮卑だが、夷狄を憎むこと親仇を憎むが如し、と評された公孫瓚の軍隊に対しては、一進一退を余儀なくされていた。
 特に、彼の創設した精鋭の騎馬隊「白馬義従」の剽悍さと、容赦ない殲滅戦は、北狄に大いなる恐怖を植えつけた。
 遠目にもはっきりと判る白馬の軍団は、戦う前から敵の士気を削いだことだろう。

 しかし、戦線の膠着と、それに伴う北方の動揺を重く見た朝廷は、国境の経営方針を転換することに決めた。
 すなわち、強攻策ではなく、恩愛によって懐かせ、帰順させようとしたのだ。
 そのためには、幽州の首長から定めなければならない。
 白羽の矢が立ったのは、九卿・大宗正の地位にあった、劉虞、字を伯安。皇族であり、温厚篤実、実務に明るく、領地においては善政を敷く君子として、内外の徳望高い人物であった。



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