冬菊の茂みの影に、小さな背中が丸まっているのを見つけて、曹丕は足を止めた。 あちらも、足音が聞こえて体を震わせている。 きっと、ひどく怒られることを恐れているんだろうと、見当は付いた。 ――あなた、どうか叱らないで差し上げて…… 探しに出る前、妻がそう言って、袖を握った。 ――叡があんなに怒ったところを、私、初めて見ました… いつも聞き分けがよい子だと、あの子に我慢ばかりさせてしまっていたわ…… ですから、あの子を叱らないでやって下さいませ…私こそ、叡に謝らなくては…… 確かに叡は素直で、それでいて、自分がどういう振る舞いをしなければならないか、幼いのに弁えている節があった。 自分もそれを当然のように見ていたが、曹叡と同い年くらいの異母弟たちのいとけない明るさを見ていると、不自然な大人しさであることを痛感する。 我慢して、大人しく聞き分けよくしていれば、いつかは父母が愛してくれる、と――そう信じていたのは、昔の自分でもあった。 せめて、父親である自分くらい、愛情を向けても文句を言われる筋合いは無かろう。 「叡、どこにいる?」 わざと、見つけられない振りをして呼ばわる。 そうして、小さな影が逃げないのを確認しながら、菊の茂みを背に、真後ろへ腰を下ろす。 「叡、どこにいるか判らんから、聞こえるなら聞け」 すぐ後ろから聞こえてくる声に、曹叡は固く手を握り締めて、耳を澄ます。 「母上が、ごめんなさい、と言ってたぞ」 はっと、震える気配が伝わる。 「叡に我慢ばかりさせてごめんなさい、と」 日も傾きかけようかという、冬の午後。静けさだけがしんしんと降り積もる。 「叡、俺も、お前が好きだぞ」 くすん、とすすり泣く声が聞こえた。 「俺も、洛も、お前のことが大好きだぞ」 背にした菊の花が、ぐすん、と鳴く声にあわせて、かさりかさりと揺れている。 「俺や母上だけじゃない、おじいさまも、おばあさまも、小父上たちも、お前がいなくなって、すごく悲しいと言ってたぞ」 言うだけじゃなくて、虎豹騎まで動かそうとした父が、元譲に沈められていたのは秘密だ。 「それにな、子建たちに叱られた。叡がいなくなったら、一生口をきいてやらん、とな」 叡にがまんさせすぎだ、もう少し甘やかしてやれ、と弟妹たちからやいやいと突き上げられた。 「叡、みんな、お前のことが大好きだぞ」 ――もちろん、俺もだ。 「だから、帰ろう」 明るい黄色の茂みが揺れた。 小さな手が、曹丕の袖を引く。 「父上」 真っ赤な頬を涙で濡らして、曹叡がしがみついてきた。 そういえば、この子が泣いたところを、見たことが無かった。 柔らかな髪を、くしゃりと撫でてやれば、小さな泣き声が響いた。 「おかえり、叡」 抱き上げてやれば、小さくても立派に持ち重りがするようになっていた。 「叡、帰ろうか」 「はい」 曹叡が、ぎゅうっと首へしがみついてくる。 だから、曹丕もぎゅっと抱きしめながら、歩いた。 end |