「假子」 嫌な声だ、と思った。 そうやって侮蔑をあらわにする声は、もとがどんなに美声であっても、良い響きにはならない。 美しくない。 「なんですか、中郎将さま」 作り笑いで振り返る。 というのも、それが相手にとって最悪の対応だということを理解していたから。 案の定、曹丕は深々と眉間にしわを寄せている。彼は、薄い唇をこじ開けるようにして言葉を続ける。 「お前、子建になんの用だ」 おいでなすった、と思った。 何晏はわざとらしく微笑んでみせる。すると、曹丕の表情がますます険しくなるのだ。 「おや、兄弟が特に用もなく会ってはいけないのですか?」 曹丕の薄い眉が、ひくりと震えた。まるで、尻尾を踏まれた猫のようだ、と思った。 「笑止、貴様が我々の兄弟だと」 「違いませんよ。お義父様が私をそう遇してくださる限り」 大きな音が響く。 曹丕が凄まじい形相で朱塗りの柱を殴りつけた。 「図に乗るな。白粉臭い才子気取りが」 冷静沈着として有名な副丞相が、実は相当な神経質で気短だというのは、存外に知られていない。 「子建に手出しは許さんぞ。妙な薬を飲ませるのもな」 「しませんよ。……もし、私がそんなことをしたら?」 「知りたいのか。楽に殺してもらえるとは思わんことだ」 「恐ろしい人…。血が繋がらないとはいえ、弟相手にそこまで言いますか」 「血縁がないのをいいことに義兄を付回す貴様には、相応しい」 本性を見た、とでも言うような表情で、何晏は曹丕を見やった。 「あなたに言われたくありませんよ」 途端、曹丕の眼差しが射殺すように尖った。 「同腹の弟に、親愛以上の思惑を抱くような方には、ね……」 知ってるんですよ、とばかりに嗤ってやる。 曹丕の顔から表情が消える。追い詰められると却って無表情になるのは、彼が知らず知らずのうちに身に着けた政治的な防衛手段だ。高い立場にあるものは、決して冷静さを欠くことは許されない。 それが、反対に彼の心を見抜く鍵となるのは皮肉だった。 溜息をついて背を向けた“義兄”に興味を失い、何晏は何事もなかったかのように歩き出した。 了 |