写本

□炉辺小話
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悔しいわ、と、女王は複雑な色の微笑を浮かべる。
「陛下は、いつも甄后さまのことばかり気になさる」
「そんなことはない」
「あります」
利発な皇后に間髪入れず言い返されて、曹丕はむうと黙った。

「呉王から香木が届いたら、甄后さまのお好きだった香りと同じ調合をなさる。西域から果実が届けば、甄后さまはこれで造った酒が好みだったと仰る。私の好みは、いつまでたっても覚えてくださらないのに」

呆れたように言う后に対して、曹丕はいまひとつ、思い当たらないという顔をしていた。
「ご自分では、気付いていらっしゃらないだけですよ」

あなたは、いつでもそう。
感情に任せて言いつのり、取り返しの付かないことを告げて。
必ず後悔なさるのだから。

「女王」
「はい」
「叡は……あれは、どうだ。俺に似ているか」
意味の取りにくい質問は、曹丕の癖のようなもの。
「似てらっしゃいます。あなただけでなく、曹家のお血筋ですわ。冷静なのに激しやすい」
「そうか」
曹丕は、軽く目を閉じた。
「国を支えうる器だと思うか」
「明君におなりでしょう」
「本当のことを言って構わん」
「そう言われましても……」
「激しやすいのは君主として短所ではないのか」
その一言に、女王ははっと胸を突かれる思いだった。

――陛下はご存知だったのだ。

自分の激しやすいこと。
一度かっとなれば、綸言の重みも忘れて感情的な命令を出してしまうこと。
「元仲様は、激しい気質かもしれませんが、情の深い方です。ご心配要りません」
思ったままを言ってみた。
ただし、ちょっと言葉を変えて。
曹叡は祖父譲りの気性の激しさを持つ反面、繊細で過敏な心を秘めている。
それは心優しいことの裏返しでもあり、傷つくことを恐れる弱さでもある。
それが吉と出るか凶と出るかは、輔弼する臣下の人柄と資質によるのだろう。
曹丕は、ふっと微笑んだ。
「安心した。俺と同じ答えだ。……同じ庇い方をしてしまうか、お前も」
「申し訳ございません」
「よい。あれは優れた子だ。俺からしても」
それだけ言うと、曹丕は深々と息を吐き、長椅子へと伏せた。
疲れが抜けないのだ、と言う。
静かに、今まで腰掛けていた安楽椅子から立ち上がろうとしたとき。
「行くな、女王」
目を閉じたまま、彼女の夫は呼び止める。
再び座り直した女王は、ようやく浅い呼吸で眠りに就いた曹丕を、じっと見つめた。

(私はあなたの后だけれど…)

――あなたと私は、本当に夫婦なのかしら?






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