写本

□長城行
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「寒…」
 思わず呟き、途端、口中を刺す冷気に眉をしかめる。
 早朝ということもあり、吐く息全てが真っ白に変わる。
 これはどう考えてもおかしい。
 いくら北辺とはいえ、時期はもう春。霜が降りる時期は、旬日も前に終わらなければならないというのに。

――今年もまた、不作か…?

 赤くなった鼻をこすりながら、陳琳は眉をひそめた。
 今年だけではない。否、光武帝中興による漢王朝は、明らかに天候が、そして暦がおかしいと言うべきだった。
 歴代の天文志を片っ端から引っ張り出し、眺めてみれば、どんどん「春」は天候とずれていき、春でありながら雪と霜の耐えることのない現在に続いている。

――これはまずいぞ…

 誤った暦に従い農作を続けていても、不作が続くばかりで税収など見込めるはずがない。
 どうして歴代の天文官たちは、この現象を正してこなかったのだろう。
 いや、彼らが、というより、彼らの更に上の連中が、というべきだ。

――そりゃあ、百年以上も権力争いなんかやってたら、変える暇なんてあるもんか…

 どいつもこいつも給料泥棒だ、と一人ごちると、陳琳は襟巻きを締めなおした。
 考えるべきは過去の国家の怠慢ではなく、今現在の自分の仕事なのだ。
 北辺の人夫らの夫役の期間を調べ、不正に延長されているものがあれば速やかに郷里へ返すこと。
 それが、出張までして果たすべき仕事の内容である。
 既に東では曹操が動き出している。兵力も労働力も、そして生産力も、塞外ではなく中原へ向けるべきだ。
 そのためには、人を内地へ正確に送り返さなければならない。
 いつまでも北の辺境に留め置き、無駄に人数を減らすなど、決してあってはならないのだ。

――また大きな戦になるな…

 すん、と鼻をすすって見上げた空は、白く曇っていた。





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