写本

□ありがとうのきもち
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遠くのあなたに花束を
(2C曹昂+丁夫人)





「母上」

聞きなれた声だが、離れていることが多いこの頃では“懐かしい”とすら思うこともある。
丁夫人は、刺繍の手を止めて、ゆっくりと立ち上がった。
「今、開けますよ」
開いた扉の向こうには、相変わらず質素な身なりの息子が、穏やかに微笑んでいた。
「お久しぶりです、母上」
「よく来てくれましたね、子脩どの」
短いが温かな挨拶と共に、わが子を中へと促した。

胡床へ腰を下ろす前に、曹昂は小さな箱を母へと差し出した。
「これは何ですか?」
問えば、曹昂はにっこりと笑って
「母の日の贈り物です」
「母の日?」
「はい」
曹昂が言うには、気候の良いこの季節、母を敬い贈り物や休暇を捧げる日があってしかるべきである、という曹操の思い付きであるらしい。
丁夫人はこめかみを押さえた。
「孟徳さんたら…」
きっと、この気まぐれな思いつきのおかげで、臣下一同はもとより曹家の内もどたばたとしているのは間違いない。
そう言うと、曹昂は笑って手を振った。
「いいえ、皆、楽しそうですよ。母上方に何を贈ろうか、あちこちで額をくっつけて相談していて…可愛いものです。それに…」
「それに?」
「お子のおられない方々にも、みんな、ちゃんと贈り物をするんです。誰に言われたわけでもないのに」
「…そうですか」
語る息子の眼差しはどこまでも柔らかで、表情はどこまでも優しい。
それだけで、彼が曹家を愛し、また曹家の人々から愛されているのが判った。

それは、曹家の奥向きを治める女性の人柄が反映されているのだろうと思う。
昔の自分――正室そして嫡男の母という矜持を守ることに必死だった自分であれば、腹違いの子女たちがこんな穏やかに笑うことは無かったのだろう。

「母上…」
一瞬、寂しげな表情を見せた丁夫人は、しかし、ゆっくりと首を振り、務めて明るく微笑んだ。
「子脩どの、この箱、開けてもよいですか?」
「もちろんですとも」
箱の中には、絹の小さな造花を玉片でつづり合わせた簪が納められていた。
「恭がつづり合わせたんです。間に合わない、間に合わない、と急いていたのですが」
「まあ、恭が?あの子、それほど器用ではないのに…」
言えば、曹昂もくすりと笑う。
「ええ、最後のほうは、節さんたちに手伝ってもらっていましたよ」
普段は勝気な娘が、苦手な針仕事におろおろと助けを求める様子が目に浮かび、丁夫人はくすくすと笑った。

――こどもの日、というのができたら、曹家には何を贈ろうかしら。




おわり

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