写本・大戦

□比余歌
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 それは、細い歯と粗い歯、二つの櫛の歯を同じ体部に取り付けた、珍しい頭飾だった。
 興味深げに眺めていたら、あの男も、これまた珍しく優しげな微笑を見せた。
「これは、比余という」
「比余…」
「俺たちの言葉だ、漢人には伝わらんさ。櫛だ」
「ほう」
 赤い瞳の前で、飴色に潤う玳瑁の歯がかざされた。
「この細い歯で、虱を取るのさ」
「何じゃ、それでは中原の櫛と変わらんではないか」
「そうだな。そして、こちらの歯――」
 玳瑁の細歯の反対には、両端を金、歯を銀で作った長い歯の櫛になっている。
「これで毛筋を整える。俺たちの身支度は、それでおしまいだ」
 もっとも、それも少し古臭い、粗野な風習とみなされはじめているという。
「俺のように髪を伸ばす者も、じいさんの世代には少なかった」
「は…、お前たちも少しは感化の風に吹かれたというところか」
「ふ、ん…まあ、そういうことだ」
 憎まれ口を叩きながらも、公孫瓚は、比余の峰に刻まれた彫刻や象嵌の美しさに目を奪われていた。
 色石を嵌めた豊かな草花の文様に、躍動する駿馬が細かく刻まれている。
その表面を、いとおしげに撫でてみる。緻密な凹凸の感触が心地よい。
その無心なまなざしを於扶羅は眩しげに見つめたが、公孫瓚は気付いていないようだった。
「気に入ったのか」
「まあ、な」
「ならば、これより上等の比余を贈ってやろう」
「いらん、お前に借りを作ってたまるか」
「可愛げのない男だ」
 於夫羅は苦笑したが、そんな可愛げのない駿馬がいとおしく思えた。
「とにかく、いらぬと言ったらいらぬ」
「そんなに怒るな――比余は單于の証だ、悪いものではなかろう」
 笑いながら、於夫羅はとんでもないことを言った。
「なっ…」
 面食らった様子の公孫瓚を後目に、於夫羅はやはり笑っている。
「まあ、楽しみにしていろ」





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