目の前に山積みされた紙帛の束を、竹中半兵衛は苦々しげに一瞥した。 「これは、どういうことかな」 黒田君、と呼ぶ声の涼しさに、一抹の毒が混じっている。 「僕は説明を求めるよ。ただ突き返したのではないとは思うけれど」 豊臣の家臣であれば、まず陳謝するであろうが、あいにくと“彼”には通じない。 理解していても、そんなことで動揺する人間ではない。 意のままに惑わない“彼”が、半兵衛は苦手だった。 「卿の政策は、見直すべき点が多すぎる」 やはり、黒田官兵衛は無駄な言葉一つ挟まず、そう言ってのけた。 「軍事の負担が実際の国力に釣り合っていない。遅延すれば民政への負荷が跳ね上がる、のみならず、それを解決する手段を講じていない。根本的な問題は二点のみ。後は、それを踏まえて検討せねばならぬ部分だ――以上」 遅延、というより、すでに行き詰まりを見せていることを知っての発言だ。 それができるならとっくにやっている、と怒鳴りつけたい。 「貧しい国域に閉じ込められたからこそ、豊かな土地を奪取する。それでは不満かな」 「不満だ。貧しい国域の、まず貧困の根となる問題を処置し、その後に兵事に及ぶべきだ」 「僕たちには時間がないんだよ。急ぎ勢力を確立しなければ、手遅れになる」 手遅れになる――友のために天下を捧げる時間が無くなってしまう――そう、言外の響きが叫んでいる。 やはり、この豊家は、官兵衛が仕えている家とは違っている。 どこか歯車が狂いかけている、そう言い換えてもいいかもしれない。 「…本心から言っているのではないと思いたい」 「好きにとりたまえ。――だが、僕は僕自身の政策に確証がある。君の要求は却下するよ」 「残念だ」 凄みのある視線は、悪意こそないものの人を不安にさせる。 そういう目を向けられた経験が、半兵衛には、あまり、ない。 全てを見透かす氷のような眼差しや、不実を詰る眼差しなら、知っている。 だが、この“黒田官兵衛”の眼差しは、そのどれとも違う。上善の水のごとく凪いでいるかと思えば、次の瞬間には冷厳な決断を閃かせる。 「君が、この豊臣に在るというならば、たとえ君が“黒田君”であろうと、僕の方針には従ってもらう」 覇者の軍である豊臣に、この“黒田官兵衛”の存在は諸刃の刃だ。 もっとも、その危険を冒しても余りある智謀を、半兵衛は選んだのだが。 「僕は秀吉に乱世の果てを見た。いや、日ノ本のあるべき将来を見た」 常に強く、誇り高く、天をも掌握する、絶対の覇者。 混沌の只中に放り出された国、その元凶を倒した後を立て直すための強靭な指導者。 それこそ、産みの苦しみに泣き叫ぶ、この国が求めている存在なのだと、半兵衛は確信しているのだ。 「豊臣軍は、それを支える絶対の存在であらねばならない。それが僕たち、豊臣の――覇者の軍たる信念だ」 自分と同じか、それ以上に表情の変わらぬ官兵衛に、説きながら思うことがある。 この頃、自分と彼の意見は平行線をたどるばかりだ。 そして、“仕えてきた家の違い”とは、こうまで大きなものか、と。 半兵衛の、どこか空虚な思いを引き取るように、官兵衛は静かに言葉を締めくくる。 「認めたくなくとも、認めるべき秋(とき)を迎えているように思えるが」 この国は、この国の基とも礎とも呼ぶべき場所、覇者たちの目には奥底と映る足下は、既に疲弊しきっているのだと。 |