唇が自由になっても、公孫瓚はじっと唇を噤んでいた。 ただ、露わになった肌を愛でる手を見つめて、 「狂っている」 と、吐き捨てた。 やはりその瞳は赤く、美しかった。 「そうだな…お前に首輪をつけよう。金と宝玉の首輪を嵌めて、犬のようにかしづかせてやる。鎖は銀で作ろう…鎖を引けば這い回るお前の首輪が鳴るよう、瓔珞も下げてな…」 低い笑い声を漏らしながら荒々しく肌を暴いていく姿は、鬼気迫る狂気が滲んでいた。 「やはり、狂っている…」 呆然と呟く公孫瓚の弱々しい声が、ぞくぞくとするほど心地いい。 「…狂っておる……貴様は、こんな…」 「こんなことのために、か…?」 「…っ…ぅ!」 首筋に走る鋭い痛み。それを口づけだと理解する前に、白い腕が反射で首筋を払った。 弾かれた頬に構わず、袁紹はせせら笑う。 「敵に抱かれるのが怖いか」 「違う…!」 唇を噛み、悔しげに睨みつける表情が、一段と凄艶で美しい。 「俺の行為を理解しているくせに、随分と疎い、初なものだ」 「黙れ!」 「さて…誰が初めに、お前を抱いた?」 息を呑む感触が、抱き寄せた肌から伝わる。 「劉玄徳…ああ、それとも…劉伯安か…?」 思いつく名前を告げてやるが、どうやらいくらかは真実だったようだ。 噤んだ唇を、更にきつく噛みしめている。 その表情を見たとき、不意に不愉快な苛立ちを覚えた。 「お前がどれほど男を知っているか――」 「な、にを…っ!」 「その体に訊いてやろう…」 露骨な残忍さと剥き出しの欲望。それが、彼を支配している全てだった。 「伯珪…」 一瞬、ただの一瞬、その名に限りない愛を込めて、呼んだ。 「何の――過ちだ――」 引き倒した両腕を締め上げ、険しい声が糺す。 広がった銀の髪の中で、憎しみと失望に満ちた目が赤々と映っていた。 切れた唇の端が、ほの朱い。 「誰が貴様ごときに身を任せるか」 激しているようで、公孫瓚の口調はどこか冷めている。 諦めたように装って、その牙は袁紹の首を忘れてはいなかったのだ。 「ならば、なぜ、ためらった?」 理由は聞かずとも、おおよそ察しはつく。 公孫瓚らしい、狭量というか幼稚というべきか。 「お前は、優しく呼ばわる者ならば誰でも良いんだな。劉玄徳は、お前をそうして手懐けたか?」 「袁紹、思い上がるな…!」 「自惚れているのはお前だ、公孫讃…」 見下ろす袁紹の目は、先程と違い険悪だった。 やはり、駻馬には調教が要る――。 その呟きを聞き取る間もなく、寝室の扉が開いた。 文官然としているが酷薄な鋭い目つきの逢紀が、陰気な佇まいで控えていた。それに、荒れ馬を禽えるための腕力として、精悍な偉丈夫の顔良と容貌魁偉な文醜が、扉からぬっと姿を現す。 「…この傲り高ぶる白馬を、思うまましつけてやれ…」 言葉の端々に滲む陰惨な愉悦の響きを、神経の尖りきっている公孫瓚は聞き逃さなかった。 「袁紹…貴様、何を……」 青ざめる横顔を愛おしげに眺め、 恭しく近寄る巨漢へ投げてよこした。 「あまり傷をつけるな。それ以外ならば、どう扱おうが構わん。最後には俺のものとなる。そう心得ておけ」 命令を守る気があるのかないのか、逢紀は血の気を失った虜囚の顔を一瞥し、御意、とだけ答えて退出していった。 思いがけず、公孫瓚は抵抗しなかった。深い絶望で蒼白のまま、袁紹を失望と蔑みの目で睨むだけだった。 彼らの無関心な表情の下に、どんな陰惨な計画が蟠っているのか、それは袁紹の関知するところではない。 愕然と言葉もなく、これから先に待ち受けるおぞましき狂宴を思い、諦めに紅き目を閉じる、美しい白馬の命運を考えた。 その堕落した艶容を思うと、笑わずにいられなくなるのだった。 了 |