写本

□虞淵
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 劉虞は、ゆっくりと席から立ち上がった。無表情だが決して視線をはずさぬ公孫瓚の、目の前に立つ。
 公孫瓚は、目線以外動かない。たとえ劉虞が力に訴えようと、迎え撃つだけの自信があるからだ。
 しかし、次の行動は予想していなかった。
 皇室の一枝、九卿を経て州牧と仰がれる身が、膝を折り、跪いた。
「貴公、何の――!」
「お願いいたす」
 さすがに驚く公孫瓚の言葉を制するように、劉虞の声が響いた。
「今、京師すら混沌の中にあり、民は塗炭の苦しみを舐めております。いわんや、夷狄の脅威にさらされる北辺の苦境は中原をも凌ぐ。これ以上、華北を荒廃させたくはないのです。どうか、擾乱を鎮め、この地に平穏をもたらすためにも、兵役ではなく恩愛で帰順させることを、お許し願いたい」
 沈黙が落ちた。
 眼前のたおやかな貴人が、決して引き下がろうとしないのは明白。
 公孫瓚の目が、値踏みするように瞬いた。
「わかった」
 その言葉に、劉虞は思わず顔を上げた。
 途端、腕をつかまれ、思い切り引き寄せられた。
「何を…」
「ただし、条件がある」
「条件!?」
「そう…」
 暗い微笑をためた公孫瓚が、唇が触れんばかりの距離で囁く。
「俺と寝を共にするならば、認めてやってもよいぞ」
 鳳眼が驚愕に見開かれた。
「どうする…?」
 腰を抑える手に力が込められ、劉虞は息を呑んだ。
 心臓が早鐘のごとく鳴る。
 その鼓動、そして瞬く間に血の気が引いていく顔。
 それらを愉しげに見やりながら、公孫瓚は意地悪く、囁いてやる。
「俺に身を任せるほどの覚悟があるのなら、他は全てお前の自由になるのじゃ…嫌か…?」
 赤い瞳が視線を捉える。冷たく、嘲弄するような残酷さを秘めた眼が、劉虞の心を窺っている。
 答えに窮した劉虞を見下すように、公孫瓚は小さく嗤った。
「生真面目だけが取り柄だな、下らん」
 突き放すと、さすがの劉虞も厳しい目に変わった。
「薊侯」
「俺は貴様に幽州を差し出す気はない。欲するならば、獲りに来い」
「…そうやって、逃げ続けるおつもりか」
「何?」
「あなたの敵は、私でも、塞外の民でもない。あなた自身だ」
 今、この時、劉虞は公孫瓚の内に巣食う怒りの正体を見た。冷たく凍った少年の歳月が、形と姿を変えて外へ向けられているのだ、と。
「…ようも言うたな」
 そして、今、この時、自分も彼の敵となったのだろう。
「交渉は決裂じゃ」
「そのようだ」
 真紅の瞳に映る自分の姿を、劉虞は固く冷えた心で見つめた。






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