写本

□虞淵
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「君は、遼東長史の公孫伯珪どのと、学友だったそうだな」
「はい」
「私と彼の経緯は、知っているかな」
「存じております。…卒爾ながら、州牧さまは、公孫長史――伯珪兄と会談するための糸口を、お探しになっているのでは?」
 直截に核心を突きながらも、劉備はどこまでも穏やかに微笑している。
「伯珪兄は、そもそも人を信じぬことから始める方です。容易に人を信じず、容れず、人物を見定めます。ですから、真実、信頼できる者に親しみ、惚れ込めば厚く尽くすのです。その意味では、人の器量を見抜くに慧敏といえるでしょう。ただし――」
「ただし…?」
「名家の子弟は受け入れることが“できない”のです。それが有能、賢人であろうとも」
 はっと劉虞は思い至る。庶出として苦境を味わった、という盧植の言葉が蘇った。
 それを見抜いたように、劉備が頷く。
「先生からお聞き及びでしょう。伯珪兄が、どのような境遇で育ったか」
「僅かながらは…。しかし、その拒絶をどのように解いてよいか、私にはわからないのだ…」
「あの人は、様々な傷を抱えて生きておいでです。お教えすることはできませんが――人とは質の異なる苦しみによって、未だに痛手を癒すことができないのです」
「質の、異なる…」
「ええ」
 再び、こっくりと頷いた劉備の口元から、不意に微笑が消えた。
「あの人は烈しい心を持っています。けれども、決して強くはない。誰をも信じず、深手を負ったまま高みへ駆け上がってしまった。あの方は――」
 さすがに唇をつぐんだが、劉虞には声なき呟きが聞こえた気がした。

――あの方は、もはや墜ちるまで翔るしかない。

「州牧さま」
 じっ、と、劉備の榛色の瞳が、劉虞の目を見つめる。
「私が直接、伯珪兄にお話してみましょう。任せて頂けますね…?」
 妙な迫力だった。そう言われてしまえば、劉虞とて断る理由はない。
「任せよう」
 それを聞くと、劉備は再び、あの穏やかな微笑を浮かべた。
「善処いたします」

 ただ、その瞳は笑っていないように見えたのだが。



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