夜露を含んだ花に白い爪が掛かろうとしたとき。 「お待ちください」 静かに、その手をつかまれた。 その、白く、硬い玉のような、手。 「お前は…」 「司馬、子元と申します」 司馬師は再度、深々と拝礼した。 「夜気はお体に障ります。どうか、中へ」 人気のない寝殿、あらためて牀榻へ身を落ち着けると、司馬師が自らの表着を着せ掛けてくれた。 「申し訳ございません。人を呼んで、お召し物の支度をさせましょう」 そう言って立ち去りかける司馬師の袖を、曹叡は思わずつかんだ。 「陛下…?」 「…いい、今は、誰も呼びたくない…」 ここにいてくれ、と言う。 司馬師はすぐに跪き、優しく手を添えた。 「承知いたしました」 力の込められていた白い手から、ほっと力が抜けた。 長い黒髪がこぼれる横顔は、うつむきがちで表情もよく判らない。先ほどの鬼気迫る凄艶さは消えて、いっそ儚げなほどだ。 「仲達に、命じられたか」 黒目がちの瞳が、じっと、司馬師を見つめている。 ぞくりとした。恐怖ではない。あまりに美しすぎるのだ。 「いかにも…」 「そうか」 それだけ呟き、静かに目を伏せる。 ふと翳った目元に、再び胸がざわめく。 「全て、知っているのか」 何を、とは言わないが、司馬師には解っている。 「全て、存じております」 息を呑む音が聞こえた。 予想はしていたものの、やはり知られたくないという思いがあったのだろう。 自分といくつも違わぬ、この世で最も尊い人は、その身の内にどれほどの感情と激情が鬩ぎ合っているのか。 それを全て受け止めたのが、父であったのか。 あるいは、この美しき君主が自ら、受け止めてほしいと願ったのか。 「陛下」 胸に焼け付くざわめきの名を、司馬師はまだ、知らない。 「わたくしでは、いけませんか」 憑かれたような眼差しに、曹叡は何を感じ取ったものか。 ふと、その唇が婉然と、笑った。 |