その日も、午後には司馬師が伺候してきた。 恭しく慇懃な、愛情深い態度は、何もかも常と変わらない。 ただ、今日は挨拶の最後だけが違っていた。 「弟が、何かご無礼を申し上げませんでしたか」 聡いのは父親に似たのだと、曹叡は思う。が、約束は約束で、黙って首を振っておいた。 「そう…、そうでしたか…」 心から弟を気遣っていたのだろう、その安堵の表情を見たとき、曹叡の胸の中で、ぽつりと嫉妬が灯った。 髪を梳く優しい振動を背に感じながら、曹叡は静かに唇を噛んだ。 きっと、あの小生意気でかわいらしい子が、もっと幼い時、彼は同じように身支度を整えてやっていたのだろう。 そうして、こんな風に優しく笑いながら、優しく話しかけて、優しく触れていたのだろうか。 「…少し、子上が羨ましいな」 「なぜです?」 「私よりずっと長く、そなたと過ごしてきたのだから」 五つも年下の子供に嫉妬しているようで、稚く思われただろうか。 表面はそ知らぬ顔で、内心は息が詰まりそうな心地で、曹叡は答えを待った。 司馬師は、微笑して答えた。 「兄ですから、弟は可愛らしいものです。ただ――元仲様を愛することと、また別でございますよ」 わたくしは、と後ろから穏やかに、抱きしめられた。 「元仲様が、昭をそれほどお気に召したかと、そればかり気になっておりました」 「私が…?」 今度は、曹叡が笑い出してしまった。 「子上は、私にそなたを取られたと思っているのではないかな」 「…左様でしょうか」 「なぜ、そう思う?」 「帰ってきて、あれが妙に得意げに言っておりました」 ――殿下が、“また遊びに来い”と言ってくださいました。 その様子が容易に目に浮かんで、曹叡は思わず、微笑を禁じえなかった。 「お笑いになりますか…」 司馬師の憮然とした表情も珍しい。 今日は何とも、不思議ですばらしい日だ。 「ふふ…すまない、とても可愛らしかったものだから」 「それは、どちらのことですか…」 「そうだな――」 背を覆う、温かな翼のような腕に頬を寄せて、曹叡はもう一度、笑った。 「そなたは、どちらのことだと思う?」 「元仲様」 困ったような、戸惑ったような、そんな表情が愛しい。 「私のことだと、思ってよろしいか?」 もちろん そうに決まっている。 end |