「父上」 暗闇に潜みたがるのは、父子の性らしい。 「お早いお帰りで」 「殊勝だな」 剣を預けるべきか――一瞬、迷った。 解かれた剣を受け取る指も、一瞬、震えた。 自分によく似た目が、鋭くこちらを射抜いてくる。 「師」 「はい」 「近々にも参内し、陛下にお目通りせよ」 無言は肯定だと取ることにした。 背に、痺れるほど強い激情が突き刺さる。 「陛下はご心労甚だしいご様子……それをお慰めできるのは、お前だけだろう」 「父上、ならば一つ、お尋ねいたします」 「何だ…」 「父上は、陛下――元仲様を、好いておいでか」 この世で最も畏れるべき禁忌の一つを犯した。 そこに“彼”の自負があり、問いの重さがある。 息子と呼ぶには何故か生々しい、眼前の男。冷たく整った顔が、ひどく不愉快に感じた。 「好いている――と答えたなら、いかがする」 「諦めていただきます」 絶対の自信があった。 「元仲様は私のものだ」 言い放ち、司馬師は唇を引き結んだ。 もはや何も語る必要はない、と勝ち誇るような沈黙。 司馬懿は無言で息子を見つめた。 驕るな、と叱責すべきなのか。 彼にはわからなかった。あるいは、あの佳人も同じように誇っているのかもしれない。 そう思うと、この男を責めることができなかった。 彼は、珍しく恐れていたのだ。 二人の間に横たわる濃艶な結びつきを――その爛熟したきらびやかな交わりに、己が立ち入ることはできないのだと知ることを。 「この私が、陛下に恋慕などいたそうか」 「知っていて、利用しておられるのではないか?」 「なに……」 「陛下――元仲様は、今でもお心の片隅で、あなたを慕っておられる。あなたがそれに気付かれぬはずがない」 「…ばかな、私が――」 「あなたは、先の帝の御子というでなく、元仲様ご自身に惹かれておいでだ。私はそれを許さない」 激するほど冷たく抉るような口調になるのも、親譲りだろうか。 鋭く切り刻んでくる司馬師の言葉を、司馬懿は苦痛な沈黙で受け止めた。 「あなたを慕う元仲様の御心を知りながら、それをあなた自身に利用する……たとえ父親であろうと、私は許さない、決して」 その切れ長の端麗な目が憑かれたように輝くのは彼自身の狂気だと、父親は苦く噛み締めた。 「話は、それだけか」 「はい」 「もうよい、好きにするがいい」 「ええ」 背を向けるのも同時だった。 刀を預けたのは正しかった。 司馬師の狂気をそのままに、司馬師を斬ろうとした己の心が、冷たく沈んでいく。 「明日――」 司馬師は言った。 「明日にも、御前へ伺います」 薄い唇に浮かぶ冷たい微笑が、目を背けていても背中に突き刺さる。 司馬懿は無言でその場を去った。 やはり、右手は刃を欲していた。 |