スモエー部屋2

□きっと、伝わってる。
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愛してる、って伝えたくて


今日もお前の寝顔にキスを落とす。






『きっと、伝わってる。』




幸せは存外、小さな事にしか秘められていない。
それは例えば毎朝ちゃんと起きられる事だったり、帰る家がある事だったり、毎日眠る布団がある事だったり。

そんな小さな事こそが人間本来の幸せであり、宝くじが当たる事や名声を得る事などが幸せかどうかと問われれば、オレは否と答えるだろう。

小さな幸せの積み重ねこそが大切な事であり、それに胡座をかく事無く日々の生活が送れればいい。



…そんな年寄り染みた考えを持っているオレだが、つい数年前までそんな事は一ミリたりとも理解が出来なかった。

幸せの意味など深く考えた事も無かったし、仕事仕事の毎日をただこなす事だけに追われていた。

朝起きてコーヒーを飲み、出社して夜まで仕事。仕事が終わり帰ればシャワーを浴び、弁当を食い酒を飲んで寝る。そしてまた朝を迎え同じ事の繰り返し。

一見虚しく見えるが、生きる意味が仕事しか無い人間にはこれが幸せだった。何の違和感も無かったし、むしろ仕事人間の自分が男として正しい姿だと思っていた。



それも全て、コイツに出逢うまでの話だが。



視線を左に落とすと、未だスヤスヤと眠っている横顔が目に入る。少しだけ開いたままの唇を指先でなぞると、いつもなら柔らかく吸い付くような感触はどこにもなくカサカサと乾いていて、慌ててサイドテーブルの加湿器をオンにした。



エースと出逢ったのは、ちょっとした飲み会だった。昔からの腐れ縁である友人が「後輩だ」と連れて来て、「コイツは家が無いからお前の部屋を貸してやれ」と言い出したのが始まり。

他人を家に上げるのは好きではないが、飲み会でコロコロと笑っている姿を見て別に悪くは無いかと思い、軽い気持ちでOKを出した。


その日からエースはこの家に居候として暮らし始めた。そして2週間後。色々あった結果、身体を重ねる関係になった。


きっかけはエースからの告白だったが、考えてみれば人間嫌いのオレが家に上げても良いと思った時点で好きになっていたのだろう。

告白をされた瞬間は頭が真っ白になって、ただキスを落とした記憶があるが定かでは無い。
そしてその流れで身体まで求めてしまったのだが、エースは痛みをこらえながらも受け入れてくれた。


それから数ヶ月が経ち、今では毎日同じベッドで眠っている。
布団に潜り込み早くおいでと笑うエース相手に理性を保つのは難しいが、負担にならない様に身体を重ねるよう気をつけながら。

しかし大切に出来ているのか疑問に思う事もある。いかんせん人間嫌いで感情も表に出ない性分だから、エースが不安な思いをしているかもしれない。

だから毎日出来る限り真っ直ぐ家に帰り、たまの休日は一緒に過ごすよう気をつけている。



だけど、「好きだ」とか「愛してる」なんて言葉を言った事は一度も無い。


それだけは、どうしても、口から出ない。


言葉にしなければ伝わらないと思い、繋がっている時なら言えるかもしれないと考えたりもしたが最初の一文字が出なかった。

密かに訓練もしてみたが、枕相手にも出なかった。

荒療治だと鏡に向かって言う練習も試みたが、何度やっても鏡の向こうにはメンチを切り続ける男がいるだけだった。


たった数文字の言葉を頑なに拒むこの声帯は、本人以上に頑固だった。




だから、こうしようと決めた。




“エースが寝た後に、愛してると思いながらキスをする。”




これを毎日欠かさず実行する。
そう決めた。


しかし当の本人は眠っているから、結局何も伝わらない。自己満足だと言われても仕方ない。
だけど分かって欲しい。

こんな無口で無愛想で人間嫌いのどうしようもない男でも、ちゃんと“愛してる”と伝えたいんだと言う事を。

そして、そう思わせてくれたのはお前なんだと言う事も。



この夜が明ければまた、いつも通りの無表情が目を覚ます。だから今日も黙ってお前にキスを落とす。

オレなりに精一杯の“愛してる”を込めて。






幸せは存外、小さな事にしか秘められていない。
それは例えば毎朝ちゃんと起きられる事だったり、帰る家がある事だったり、毎日眠る布団がある事だったり。


“愛してる”と伝えたい相手がいる事だったり。






今日も心の中で呟いて、少しカサついた唇にキスを落とした。



言葉にならないたくさんの“愛してる”を、込めて。







END
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