スモエー部屋2
□朱く染まるは
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ひらり
窓の外を眺めていると、庭の楓が一枚、地面を覆う龍の髭へと舞い落ちた。
深緑と朱色の艶やかなコントラストも真夜中の濃紺には負け、ただひっそりと存在を潜ませている。
「ん…。」
微かな寝言に振り返ると、布団から出た身体を縮こめ寒そうに震えているエースが目に入った。
すぐにはだけた布団を掛け直し、額にかかる前髪を指でとく。
ぐっすりと眠る穏やかな顔に心が安らぐのを感じ、そばかすのある頬をそっと撫でた。
ここは都会の喧騒から遠く離れた旅館。こうしてふたりでゆっくり旅行に来るなんて、初めての事。
盆休みの振替だと無理矢理ねじ込んだ休み。
この忙しい時期にやめて下さいと散々部下達から泣き付かれたが、今回ばかりは頼むと頭を下げてまで連休を取った。
それは全て隣ですやすやと眠る14歳年下の恋人の為。
コイツは仕事で忙しいオレを理解して、何も文句を言わない。
朝は笑顔で送り出してくれ、夜は遅くまでオレの帰りを待ち笑顔で出迎えてくれる。
遊びたい年頃だろうにどこかに連れてけとも言わないし、あれが欲しい等と言う簡単なワガママすら言わない。
そんなコイツがこの間旅行番組を観ながら珍しく「いいな」と呟いたのを聞いて、休みを取ろうと決めた。
内緒で取った飛行機のチケットを手渡した時、エースは目を丸くしてオレとチケットを交互に見つめた後、ぽろぽろと涙を溢した。
なんで泣くんだと尋ねると「嬉しいから」と言って微笑んだエースに、今まで本当に我慢させていたんだと気付かされた。
寂しい時もたくさんあっただろうに何も言わず我慢していたのかと思うと自分の甲斐性の無さに何も言えず、ただ抱き締めて頭を撫でてやる事しか出来なくて。
しかし今日久々ふたりきりでゆっくり過ごし、とても嬉しそうなエースの笑顔を見る事が出来て本当に良かった。
ぐっすりと夢の中にいる寝顔をもう一度見つめ、静かに布団を抜ける。
カバンの中から小さな箱を取り出し、未だすやすやと眠る顔の前にそっと正座をした。
凛とした畳の香りをゆっくりと吸い込み、深呼吸をする。
少し鼓動が早くなっているのは、やはり緊張からなのだろうか。
しんと静まりかえった部屋の中、聴こえるのは規則的な寝息と虫の音だけ。
もう一度すうっと息を吸い込み、意を決して言葉を紡いだ。
「結婚、して欲しい。」
それは、今まで口に出せずにいた言葉。
これからもオレはきっとコイツに我慢をさせる。
旅行どころか買い物や映画にすらなかなか連れて行ってやれないし、ワガママを聞いてやれる時間もおそらく無い。
構ってやれる時間も話す時間も少ないだろう。それでもお前はついてきてくれるだろうか。
そう思うとなかなか言い出す事が出来ず、ずっと心の奥の方でくすぶらせていた言葉。
たが、どんなに考えてもエースのいない生活が思い浮かばなかった。
疲れて帰った夜、やる気の出ない朝、何度もその笑顔に救われた。
離れる事など考えられないほど自分にとってかけがえのない存在だと思い知った。
静かに箱の蓋を開けると中には銀の指輪がひとつ。寝ている左手を布団からそっと出し、薬指に滑らせる。
「…泣かせる事もあるかもしれない。」
ぴったりとはまったのを確認して、また布団の中に腕を戻してやる。
「でも、誰よりも大切にする。」
寝息をたてる唇に、触れるだけのキスをそっと落とした。
「…約束する。」
唇を離し囁くと、エースが少しだけ微笑んだ気がした。
秋夜の秘め事。
さて、エースが指輪に気付くのはいつだろうか。
窓の外では楓が夜風に揺られ、また一枚、朱色をひらりと落とした。
END