04/18の日記
11:17
『胡蝶の夢・13』(本編前アベゼロ)
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気が付くと、頬が冷たくて。ああ、濡れているのか。とゼロは思う。閉じた瞳から零れるそれを、拭う暖かい指の感触が、とてもくすぐったかった。
「……ゼロ様」
優しい声が耳朶に響いて、ゼロは頬を緩めると瞼を開く。自分を抱き上げていた彼の腕が、僅かに震えるのがわかった。
目を開けたそこには、優しい彼の微笑みがあって。おはよう、と呟こうとすると、また涙が溢れて落ちる。そっと、それを拭ったアベルが戸惑ったような笑みを浮かべた。
「あ…べる」
「…どうかなさいましたか?」
なんでもないの。と、頭を振ろうとすると、その前に彼はゼロの頭を抱き寄せる。優しく髪を梳かれて、ゼロはまた涙を零した。アベル、と小さく呼んで体を寄せる。彼の胸に、そっと寄せた掌からは確かな鼓動と温もりが伝わってくる。
その暖かさに、ようやく心が落ち着いて。ゼロは、ぎゅう。と力を込めて彼に抱き着くと身を離して、悪戯っぽく笑う。
「…なんでもない」
笑うと、アベルもまた含みのない笑顔でゼロの額にキスを落とした。それが嬉しくて、ゼロはまたアベルに笑い返す。
アベル。確かめるように名前を呼べば、彼はいつものように、はい。と答えてゼロに笑う。…アベル。それが嬉しくて、彼の名前がとても好きで、ゼロはもう一度繰り返す。はい。彼はもう一度、優しくゼロに微笑んで繰り返した。
胸に溢れた感慨が、零れて、それでもゼロはもう一度彼の名前を呼ぶ。
「…ア、ベル…」
「……はい」
彼は、優しく笑うとまたゼロを抱きしめる。その優しさが胸を締めて、ゼロはとても幸せなのに苦しくなる。
「…め、を…………夢を」
「…………はい」
夢を見たんだ。そう、口に出そうとしたゼロは、アベルの顔を見て言葉を止めた。それを口にしてしまえば、今のこの夢が終わるような。そんな気がして、ゼロはまたアベルの胸に縋り付く。
これが現実で、あれが夢なら。どんなにか幸せなことだろう。願ってしまえば、これはもう見られない夢に思えて。ゼロは顔を上げると、笑ってアベルの名を呼んだ。
「あのな。…昔の、夢を見たんだ」
「…………昔の?」
返したアベルの声は、一段低い。ゼロはそれが不穏に思えて、懸命に明るい顔を作る。それに気付いたのだろう、アベルは優しく微笑むとゼロの額を撫でてくれた。
「そう。子供の頃の、俺達の夢で…確か、お前の誕生日だったんだ」
ああ。彼が呟いて、嬉しそうに笑う。目覚めの前に見た幼い二人の姿は、ゼロにとって夢の世界で上書きされた優しい記憶で、話題を変えるには調度よいように思えた。
思い出すと、自然に顔が綻んでゼロは弾んだ口調で続ける。その流れを、不審に思っていい筈のアベルも、ゼロに合わせて笑顔を見せてくれたので。ゼロはそれが、とても嬉しかった。
「…俺が、四つ葉の詰草を探しに行って。…危なくなったところを…アベルが助けてくれた。それが、凄く嬉しかったんだ」
「…はい」
ゼロが笑うと、アベルは少し困ったように笑う。そういえば、あの夢の中で自分はアベルに叱られていたのだったろうか。思い出して、ゼロはアベルの顔を窺った。
あの後、すぐに覚醒してしまったけれど。子供のアベルは、あのお守りを喜んだのだったか。中途半端な夢の記憶ではそれがわからなくて、ゼロは沈黙する。アベルが、そんなゼロを心配そうに見詰めたからゼロは慌てて首を振った。
「ううん。…ええと、俺、そこまでしか覚えてなくて…」
「ああ…」
「…う、嬉しかっ…た?」
問い掛けると、アベルが目を見張る。
考えてみたら、誕生日に渡したものを喜んだか。なんて凄く失礼な質問じゃないだろうか。頭に昇っていた血が一気に引く感覚がして、ゼロは慌てて彼に手を振って見せた。
「わ、悪い!…今のなしっ!」
「え…いえ」
「なしだったら!本当に、なしだからなっ!?」
「あの、ゼロ様」
「き…気にしなくていいから!なっ!?」
ぎゅう、と抱きしめられる感触がして、手を振り回していたゼロは更に顔を熱くする。落ち着いて下さい、と言ったアベルの声は、言葉自体は静かだったが、中にはっきりと笑いを含んだ響きがあってゼロはそれにも顔が赤くなる。
「…嬉しかったですよ」
耳元で彼がそう囁いたのも、とても気恥ずかしかった。
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