04/17の日記

18:04
『胡蝶の夢・12』(本編前アベゼロ)
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 見上げた姉の顔は強張っていて、ゼロは何も言えずにプラハの顔を見詰めた。隣のドミナが、また怪訝そうに首を傾げる。聞き間違いではなかった、とゼロは思う。けれど、何事もないような二人の姉の表情に、ゼロはそれ以上の追及はやめることにした。
 なんでもない。と首を振ってドミナを見ると、彼女は安心したように満面の笑顔を見せた。



 長く薄暗い廊下は、片側の壁にだけ取り付けられた燭台からの微かな灯だけを光源にしている。夜目が利く代わりに、強い光源があると逆に周囲が見えなくなってしまう黒き羽の一族には、この程度の灯でも充分だ。
 僅かに、明るい日差しに満ちた世界の夢を思い出してゼロは慌ててかぶりを振る。あれは、ただの夢だ。それを今の現実と比べるなんて、考え違いにも程がある。ゼロが深く息を吐くと、心配そうにドミナがその顔を覗き込んだ。

「…大丈夫?」

「あ…うん。大丈夫」

 言って笑い掛けると、ドミナは嬉しそうに笑顔を返す。また笑い合う双子の弟妹に、プラハは諦めたように深く溜め息を付いて足を止めた。

「…着いたわよ。だらしない顔をしていないで、しゃんとしなさい」

 着いた、と言うには曲がり角ひとつ分の距離があるが、他人に話声を聞こえない程度。と言うのなら、確かにここが限界だろう。ゼロは、背筋を伸ばすと意識して口元を引き締めた。ここで、迂闊な言動をしてはゼロやドミナよりも引率をしている姉に批難が行く。
 見れば、隣のドミナも同じことを考えたのか、固く強張った顔で前を見据えている。

 プラハはそんな双子を見ながら、…困った弟妹だこと。と、殊更にぶっきらぼうな口調で呟いて、そっぽを向いた。ふて腐れるようなその声は、照れ隠しをする時の姉の癖だ。
 漏れる笑みを隠そうと、ゼロはローブの裾を握りしめる。見ると、横で双子の姉が同じように奥歯を噛み締めて手に力を入れていた。目を合わせると、さらに眉間に皺を寄せて歯を食いしばる。「…あんたたちねえ」と、姉が呟いたところを見ると、ゼロも同じ顔をしていたのだろうか。


 体面を考えてか、プラハはゼロを先に歩かせるよう促すとふて腐れたような顔のまま軽く腕組みをした。その瞳が僅かに伏せられていて、ゼロはまた少し困惑しながら足を進める。間隔を置いて、ドミナが自分に続く足音がした。
 …駄目なのよ。と、また姉の声が聞こえた気がして、ゼロは振り向きたい気持ちを抑える。問い質してはいけない、聞いてはいけない。微かな不安が胸を掠めて、変わらぬ足取りで歩くようゼロは自身を戒めた。



「…そうじゃなきゃ、アンタたちは…酷く傷付いてしまうことになる…」






 え。と、漏らしたゼロが振り向こうとして、その瞬間に礼堂の中の光景が目に入り。ゼロは、そのまま立ち尽くした。

 燻んだ灰色をしたローブと、黒い羽を持った人間の一面の後ろ姿。広い礼堂に、押し込まれるよう詰めた彼らの視線の先には一段高くなった祭壇があり、そこには豪奢な僧衣を纏った司祭の姿がある。
 それは、いつものミサと同じ光景だ。けれど、司祭と信者を隔てる祭壇の上に乗せられた、『生贄』の姿にゼロは視線を外せなくなる。急に息が苦しくなった気がして、ゼロはローブの首元を握りしめた。

「……う、そだ……」

 嘘だ。そんなこと、あるはずがない。叫びたくなる喉を、ゼロは必死に押さえ込む。今日は、定例ミサの日だった筈だ。生贄の儀式が、あるはずがない。そんなはずはない。白くなる頭を、ゼロは抱えるように押さえ込んだ。

 祭壇の前に立つ司祭は、儀式の作法に則って。信徒たちに教団の教えを称えている。生贄の少年は、僅かにも身じろぎをしない。彼は、薬で眠らされているのだろうか。ゼロが見るうち、司祭は大きく腕を広げる。

『…ために、白き羽の生贄を』

( ――――やめろ!)

 視界の中で白刃が煌めき、司祭が持った刃は少年の心臓を貫いた。
 舞い散る白い羽が、暗い礼堂の中を反射して。ゼロは彼に向けて手を延ばす。




「―――アベル―――!!」







 これが全て夢ならいい。
 彼の名を呼びながら、ゼロは思った。姉の言葉が胸を締めて、知っていた筈なのに。と自分の愚かさと、彼に出会ったことをゼロはただひたすらに後悔していた。


( ――誰も好きになったら駄目なのよ。…そうじゃなきゃ、アンタたちは…酷く傷付いてしまうことになる…)


 そう、知っていた筈なのに。




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