04/06の日記

00:09
『胡蝶の夢・8』(本編前アベゼロ)
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 しばらくして、周囲を見回しながらアベルが小さく息を付く。それに釣られるように子供のゼロは歩調を緩めて、彼の顔を見つめるように首を傾げた。
 アベルは手振りで少年を制すると、木の窪みに彼が隠れるよう休ませて耳を澄ませる。静かに、と合図を送られた小さなゼロは、手で口を押さえてこくこく。と頷いた。彼に優しく微笑んで、アベルはまた周囲に注意を向ける。

「……大丈夫ですね」

 アベルが呟くと、少年は明るい顔をして。手を下ろしても大丈夫か、と彼に目線で問い掛けた。それを見て、アベルはまた優しく笑う。少年の手に触れて、握りしめるよう下げてから、大丈夫ですよ。と微笑んだ。
 ああ、やっぱりあれはアベルだ。笑う少年と、少年にどこまでも優しい白い羽の子供を見てゼロは思う。いつでもアベルは、不安な顔をするゼロに優しく触れて「大丈夫」と笑う。少年の所作は、夢に現れるアベルよりも僅かにぎこちなかったけれど、その優しい笑顔は間違いなく彼がゼロに見せるものだ。




「…大丈夫?」

「はい。…どこか、痛む場所はありますか?お怪我はありませんか?」

「大丈夫。ありがとう」

 楽しそうに笑う子供のゼロに、アベルは気真面目な顔を向ける。眉を寄せた顔は、少し怒っているように見えた。ゼロ様、と呼ぶ声が固い。

「…なぜ、お一人であんな場所に行ったのですか。街から外れれば、危ないことはわかっていた筈でしょう」

 アベルに睨まれて、少年は困惑したように俯いた。どうしてなのだろう、と今のゼロも思う。街から外れることの危険など、3つの子供でも知っている。
 この世界に、治安維持の概念などはないのだから。街から外れて暴漢に教われても、それは立ち向かう能力のない弱者が悪いのだ。と言われて終わる。だから、自分を弱者と自覚する者は街から出たりなどしない。
 子供を持つ親は何より先に、最大の弱者である子供に最低限の保身として『街から出ない』ことを教えるのだ。

 幼いゼロも、それは理解していたのだろう。アベルの視線から逃れるよう、俯いたまま弱々しく謝罪の言葉を述べる。彼は困惑した顔でそんなゼロを見ていたが、僅かに声を和らげた。

「…何か、事情がおありだったのですか?」

 ゼロは小さく肩を震わせると、しばらく俯いてから彼に手を差し出した。走っている最中も握られたままだった片手に、何が握られているのかと気にしていた様子のアベルは素直に。一回り華奢な、少年の手の平に手を延ばす。

「………四つ葉?」

「幸運のお守り…アベルに、渡したくて。あの場所にしか、詰草が生えてなくて、他の場所は知らなくて…」

「どうして?」

 徐々に語尾の小さくなる、ゼロの言葉を遮るようにアベルは聞いた。その声には、いつもの柔らかさも、先程までの詰問するような調子もない。
 子供のゼロは、俯いて両の手を下ろしたままで、小さくなった声を搾り出すように続ける。いつもなら、優しくゼロの言葉を待ってくれるアベルが、食い入るように彼を見ていることも。ゼロの不安を後押ししているのだろう。


「誕生日だから…アベルの…」

( ――誕生日?)






 ゼロは、思わず目を瞬いた。記憶を辿っても、彼の誕生日も渡したプレゼントも思い出せない。だって、彼は夢の中の住人なのだ。優しく微笑んで、ゼロに触れて、いつも幸せな夢を見せてくれる。とても大切な、儚い存在。

( ――なら、この記憶は6月のことなのか?)

 同時に沸き上がって来た思いを、ゼロは頭を振って押し止める。彼の誕生日も、プレゼントも、何も覚えていない。なのにそれが『いつ』かを知っている気がして、ゼロはまた頭を振った。
 酷く不安な、胸の痛くなる心持ちがして、ゼロはその場に踞って顔を覆う。

 男に腕を掴まれた夢とは、違う感情で、この夢を。怖い。と、ゼロは思っていた。










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