04/05の日記

11:51
『胡蝶の夢・7』(本編前アベゼロ)
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 地面に投げ出された子供は、それでもまだ手足をばたつかせて。男の手を振りほどこうと抵抗をしている。けれど、それも時間の問題だ。とゼロは思う。
 子供の目に過ぎる諦念は、今のゼロの目に明らかだ。形だけ振りほどこうとしても、子供はそれが出来る筈はないと気持ちのどこかで諦めている。


( ―が、どこにいても )


 子供と同じ諦念で、その光景を眺めてたゼロの耳に。不意に、アベルの言葉が蘇る。どうして急に、とゼロが目を瞬かせると、子供を押さえ付けていた腕が止まるのが見えた。
 もう一度ゼロが瞬きをする間に、男の影から別の腕が延びて来て。子供の手より、心持ち太く見える腕が。幼いゼロの手を引き寄せた。見ているゼロが、もう一度瞬く間に二人の少年は駆け出していた。

 瞬いていたのは今のゼロだけでなく、少年に手を引かれ、半ば抱えられるように駆けている子供のゼロもだ。大きな目を開いて、白い羽の少年を見詰めながら必死に息を整えている。その足が、潅木に取られて転びそうになるのを事もなげに抱き留めて、白い羽をした少年はゼロに心配そうな顔を向ける。

「申し訳ありません。…もう少しだけ、大丈夫ですか?」


 その顔も、ゼロを案じてくれる声も、ゼロの知っている夢の中の彼と同じもので。ゼロはもう一度、瞬いた。

 この光景は、ゼロの昔の記憶の筈なのに。何時の事かは忘れたが、子供の見せた諦念も、ゼロを引き倒す腕も、ゼロにとっては日常的な記憶の一部で。彼の見せる優しい夢とは、重なりようのない『現実』の筈だ。
 夢の中の住人の筈の彼は、記憶の中のゼロと同じ、子供の姿でいつものように優しく笑う。

「………ア、ベル?」

 二人のゼロは、掠れた声で呟く。そのどちらに応えたものなのか、彼はまた優しく微笑んで。もう少しだけ我慢して下さい、と支えたままの少年の手を引いた。少年は、また数度瞬きをして、その手に応えるようアベルの手を握りしめる。
 彼は、少年の反応に嬉しそうな笑顔を見せて。僅かに後ろを睨むと、男が追ってくる様子がないことを確認してから足を速めた。


( ――――僕が 
 助けに行きますから。 )


 最後まで聞けなかった筈の、彼の言葉が蘇ってゼロはまた瞬いた。少年の手を引いて走る、幼いアベルの力強さはゼロの知る彼と同じものだ。今のゼロと同じ歳のアベルにある余裕は、彼にはないが。その代わりにある懸命さと、気真面目な横顔がやはり彼らしくて。とても優しい、とゼロは思う。

「…助けに」

 ゼロは、少年たちから僅かに視線を外して自分の手を見下ろした。現実には、ただの一度も引かれなかった筈の手なのに、何故か温かく感じて両の手を握り合わせた。
 今、上書きされたばかりの優しい記憶はゼロの胸の内に簡単に入り込む。アベルのくれる幸せな夢も、いつもそうだ。










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