03/31の日記
21:25
『胡蝶の夢・6』(本編前アベゼロ)
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困ったようにアベルが首を傾けて、その目を開いた顔が可愛く思えたから。ゼロは、彼に釣られるように首を傾げた。
「…本当に大丈夫ですか?」
「大丈夫」
質問を重ねるアベルが、真剣にゼロの身を案じてくれているのが嬉しくて。ゼロは、大丈夫。と笑ったまま、彼の肩に頭を乗せた。戸惑いを滲ませたアベルの手が、ゆっくりゼロの髪を撫でてくれて。それも嬉しかったので、ゼロは、ありがとう。と呟く。アベルが小さく笑む気配がしたのも、ゼロは嬉しいと思った。
夢にしても都合のいい。あまりに幸せな夢だ。アベルは、どこまでもゼロに優しい。
こうして、ゼロに触れる時のアベルは、ひときわ柔らかに笑う。ゼロは、そんなアベルの微笑みがとても好きだ。
ありがとう。と不意に零れて、途端にアベルの手が止まる。
視線を上げると、アベルは強張った顔でゼロを見ていて。どうしたのだろうか、とゼロは首を傾げた。何度も何度も繰り返した感謝の言葉を、彼が不快に思ったのだろうか。
「…アベル?」
呟いた声は、随分と情けない響きをしていたのだろう。彼はすぐに微笑んで、ゼロの額を撫でてくれた。
なんでもありませんよ。と、いつもの顔で笑う彼は、やっぱりどこまでも優しくて。ゼロが背中に腕を回すと、その背をそっと抱き留めてくれる。
どこか心の安らぐ暖かさに、ゼロが僅かにまどろむと。ゼロの背を優しく叩きながら、アベルが耳元で囁く声がする。
「…………ら、呼んで下さい。貴方がどこにいても、僕が」
続けた先を、聞きたいと思ったけれど聞くことは出来ず。ゼロはまどろんだまま、意識を夢との境界へと落としていく。
( ――呼んで下さい。貴方がどこにいても、)
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少年は逃げていた。
ゼロは、近くでも遠くでもない場所で、それを見ていた。ああ、あれは昔の自分だ。と、彼はぼんやりと思う。
燻したような灰色のローブは、細い子供の手足には不似合いで。少年が走る度に、ローブの裾が翻る姿はどこか痛々しい。子供は、そんなことを気にも止めず。後ろを気にしながら、振り向かないようにひたすら駆けていた。
見れば、息を切らせて走る少年の手足には無数の擦り傷が出来ていて。あれは木立を駆ける間に付いた傷だ、とゼロは思う。全力で走った事など、ただの一度もない子供なのだ。森の中を走りながら枝を避けるような、器用な真似は出来ないのだろう。思う間に、木の根に足を取られて少年は肩から地面に転がり込んだ。
顔を泥だらけにした子供は、それでもすぐに立ち上がろうとする。けれど、延びて来た腕は少年に追い付いて、体を起こしかけた少年をまた地面に押し付けた。子供はじたばたと手足を動かすが、大人の力では敵う筈もない。
それ以前に、子供には抵抗の方法がわからないのだろう。なりふりを構わなければ、大人を振り払う事も不可能ではない筈なのに。
少しだけ歳を取った、今のゼロにならそれはわかる。出来るかと問われれば、今でもそれに自信はないが。口を押さえる手に噛み付くとか、のしかかる体に対して足を真上に蹴り上げるとか。相手を傷付ける意志さえあれば、それは決して不可能な事ではないのだ。
自分に、出来るかどうかは別として。
少しだけ歳を取ったゼロは、口の中で呟いて目を伏せる。
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