03/29の日記

11:26
『胡蝶の夢・5』(本編前アベゼロ)
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 ずきり、と頭が痛んで、ゼロは額に手を当てた。垂れた鎖が、湿った肌に張り付いて。酷い冷たさを感じたので、彼はすぐに手を下ろす。
 頭の痛みは、一時のものだったらしい。冷えた鎖に意識が向かえば、目の中に僅かな痺れを残して遠ざかる。手の平を眺めながら、ゼロはふと奇妙な奇視感に捕われた。

「…………夢?」

 呟けば、さらに奇妙なことのように思える。本当に夢だったのだろうか。胸の内に問い掛けると、二重写しのように蘇る記憶がある。記憶の中にいるゼロの姿は、10歳にも満たない子供に思えた。

 場所は大聖堂ではなかったし、ゼロは一人でいた訳ではない。けれど、枯れ枝のような腕をした男の記憶だけは、現実に。確かにあったことのような気がした。
 勿論、それはゼロの父親としての記憶ではない。父として父親に、母として母親に会った記憶は、ただの一度もない。
 では、なぜ自分が父親と引き合わされたのか。と。思うと、ゼロはわからなくなる。父親の魂を容れる器には成り得ない、と見限られた子供の筈だ。父親の子を成すには、性別が合わない。と見限られた子供の筈だ。

 思考を詰めようとすると、酷く頭が痛くなって。ゼロは、冷たい床から身を起こす。眠りたい時に眠る、怠惰は確かに美徳だけれど。それで体を損なっては何にもならない。
 鎖を手繰り寄せながらベットに横たわると、やはり冷えた埃の臭いがした。


 それでも、固い床に横たわるよりは少しはましだろうか。瞳を閉じると、ゼロは仰向いて。深く息を吐いた。









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 目を開くと、大きな手の平が視界に入って。ゼロは数度瞬いた。その気配に気が付いたのか、アベルはゼロの顔を覗き込むと、そっと額に手を押し当てる。
 温かな手の平が嬉しかったから。ゼロが微笑むと、アベルはまた困惑したように笑う。

「…おはようございます」

 アベルの声は、耳に優しくて。ぼんやりとした心地のまま、ゼロはまた微笑んだ。…ああ、温かいな。心の奥で呟いて、アベルに触れようと手を延ばす。それを察したアベルが、ゼロの手を握ってくれて。それもまた、嬉しかった。

「…アベル?」

「はい」

 …おはよう?呟くと、アベルは笑って「はい」と言った。握ってくれた手をそっと握り返すと、彼は嬉しそうに笑うので。ゼロは、とても暖かい気分になる。額に触れた手が、優しく撫でてくれるのがくすぐったくて、ゼロは目を細めた。

「お疲れですか?」

 アベルが問い掛けて、ゼロは首を左右に動かす。確かに、ぼんやりとした心地だけど、疲弊しているようには思えない。
 それよりも、疲れている。と答えて、アベルと離れることの方が嫌だった。優しいアベルは、ゼロを案じて。ここに残したまま、手早く家事を終わらせようとするだろう。すぐに戻りますから、と笑って、ゼロの好きな果物を持って来てくれるかもしれない。
 それはとても嬉しいことだ。と、ゼロは思う。けれど、そのアベルを待つ時間すらも、今のゼロには惜しいのだ。

 いつ、また夢が覚めるかも知れない。いつ、また彼と離れるのかも知れない。
 考えるとそれは怖くて、アベルの手を握りしめたままゼロは体を起こそうとする。彼は困惑した顔をして、それでもゼロの背を優しく支えてくれた。

「…大丈夫、ですか?」

「大丈夫」

 笑うと、彼は苦笑を浮かべる。握られたままの手が暖かくて、ゼロはまた嬉しくなった。









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