03/25の日記

22:16
『胡蝶の夢・1』(本編前アベゼロ小…?話)
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 ちらちらと、瞼の裏に光が差し込む。まどろみながら、それを知覚して、ああこれは夢だ。と、彼は思った。






「おはようございます」

 言って、微笑んだ青年にゼロは柔らかく笑みを返す。ああ、これもいつもの夢だ。
 と、冷めた心の内が慨嘆したけれど。彼の微笑みは、とても優しかったから。夢の中でも、それを否定することなどしたくはなかった。
 実際に、ゼロが笑うと青年はまた笑みを深くする。それがとても優しくて、胸の内に灯が燈ったようだったから、ああいい夢だ。と、ゼロは嬉しくなる。

「おはよう、アベル」

 アベルと呼ばれた青年は、ゼロが声を掛けると忙しく立ち働く手を止めないまま、応えるように笑みを返す。

 直ぐに支度をしますから、言われて、ゼロは素直に食卓についた。手伝おうとしても、邪魔になるだけだ。とわかっているから。アベルを困惑させるのも嫌で、ゼロは微笑んだまま彼の仕事を待っている。
 最初から手伝うことを諦めていたわけではなかったけれど、不慣れなゼロが作業を妨げても笑みを絶やさない彼に。後ろめたい気持ちが、大きくなるのが怖くなったから。アベルの優しい笑顔が曇るくらいに、ゼロの後ろめたい気持ちが大きくなるのは嫌だったから。

 だって。夢の中で後悔しても、目が覚めれば謝ることは出来ない。
 それはとても悲しいことだ。と、ゼロはいつも思うのだ。だから、今日も。目の前に並べられた料理と、アベルの笑顔に、微笑んで伝える。

「いつもありがとう。今日も美味しそうだな」

 伝えれば、彼はいつも応えてくれる。

「ありがとうございます」

 そう、優しく微笑み返して。
 だから。ああ、幸せな夢だ。と、ゼロはまた暖かな気持ちになるのだ。





 この夢が覚めたら。
 一口、アベルの作ったスープを口に入れて。ゼロは思った。スープはゼロ好みの、あるか無しかの塩味に素材の味が生きた優しい味で、アベルの笑顔のようだ。と僅かに思う。
 この夢が覚めたら。最初に目に入るのは、何だろうか。あの、石造りの壁だろうか、それともベットに括り付けられた鎖だろうか。そもそも、何かを視界に入れられるだけの明かりはあるのだろうか。

 身震いをしたい気分になったから、ゼロはもう一口。アベルのスープを口に入れる。優しい味のスープは、体の芯からを暖めるような温もりがあって。思わず、美味しい、と小さく漏らす。
 それを聞いたアベルが、嬉しそうに笑ったから。ゼロは、暗闇の記憶を振り払うように微笑んだ。知覚した夢は、悪夢にも福夢にも変わるのだから。どうせ見るなら、可能な限りの幸せがいい。

「…アベルの料理、好き」

 呟いたら、彼は驚いた顔をして俯いてしまった。嫌だったのかな。迷うと、微かに「ありがとうございます」と呟く声がして、顔を覆う。
 それが、泣いているように見えたから。ゼロは、アベルに近付いて彼の手を取った。ただ触れるだけのようなそれに、握り返す力が加わって。ああ、伝わっているのだ。とゼロは思う。


「…アベルが、好き」


 もう一言。囁いて、くらりと視界が回る。…幸せな夢だから、もう少しまどろみたかった。現の近付く、覚醒の気配に身を震わせてゼロは思う。
 最後に、アベルに自分の想いを伝えられた。それだけは嬉しい、と。沈む意識の中、ゼロは朧げになったアベルの手の温もりを確かめるよう。手の平をそっと握りしめた。






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 ちゃり、と。鎖の鳴る音がする。
 握りしめるよう、持ち上げた手の付け根から音がして。次いで、鉄の冷たさを肌が知覚する。冷たい。痛い。冷たいのは鉄が体温を下げるからだろうけれど。視界に入るまで手首を上げて、鉄枷に擦られた肌に赤い筋が出来ていることに気が付いた。ああ、痛い。

 鎖の先を目で辿れば、直ぐに樟んだ灰色をした石の床に当たる。それは、ゼロの視線の高さと同じ。
 頬に触れる、埃の臭いの混ざる冷たい感触に自分は床に寝そべっているのだ。と、彼は理解した。








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