妖アパ

□それは杞憂というものです
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「……千晶を、ぶっ飛ばしたい……」


眠そうな顔で彼はぼんやりそう呟いた。


稲葉の弁当は今日もかすめ取りたくなるほど美味しそうなオーラを振りまいていた(実際美味しいんだけど)。


「は?」


あっけにとられ、あたしは弁当を食べる手を止めた。
――ぶっ飛ばしたい?
稲葉が、千晶ちゃんを?
思わず身を乗り出す。


「――一体何があったの!? 稲葉っ!」

「え……?」


稲葉はぽかんとした顔であたしを見つめ、覚束ない箸さばきでミニトマトを掴もうとした。
……そのミニトマトには、食べやすいようにあらかじめオシャレな楊枝が刺してあるのに、稲葉は全く気付いていないようだった。

つまり、半分寝ている。


「稲葉ー?」

「……んー……」

「……ほんとにどうしたの?」

「なんか……寝不足で眠いのに……すっげー変な夢見た……」

「千晶ちゃんの?」

「ちげー……」


稲葉は机の上で腕を組み、その上に頭を乗せる。
すぐに半分ほど目蓋が落ちた。
こんなに隙在りな稲葉は初めてだ。
とりあえず玉子焼きを頂戴し、頬張る。

ああ、やっぱりすごく美味しい!


「じゃあ長谷くんの夢?」

「ちげー……」

「千晶ちゃん?」

「んー……かも……?」

「ほんとに?」

「ちあき……が……」


小さい声を聞き取るために、あたしは稲葉の顔に耳を近づけた。


「……ちあきが……うさみ…み…で、……おどって……」

「はあ?」

「ほんと……いみわかん…ね……」


いやいや、あたしの方が分かんないから。
内心のツッコミと同時にひょいとミートボールをいただいた。おいしい。ついでにおかしい。稲葉がこんなに無防備だなんて。おかしいというか珍妙だ。天変地異の前触れかもしれない。


「しかも……だぁりん……とか、ふざけんな…よ……」

「…………」


ダーリンはいつものことじゃないの。っていうか夢の中でもダーリンって呼ばれるなんて稲葉何それあんたよっぽどダーリンって呼ばれたいの!? 呼ばれたいの!?


「たしろ…うるさ…い…」

「それで!? 稲葉は千晶ちゃんにどうしてもらいたいわけ!?」

「…んー……みみ…はず…し…ら…」

「んもう、何言ってんのか全然分かんないんだけど……」

「ちあ……うさみ……は、ねーから……」

「稲葉、俺がなんだって?」

「ち、千晶ちゃん!?」


真打ちの登場にあたしは椅子から転げ落ちそうになる。
千晶ちゃんはいつも通り目を剥くくらいかっこよかった。その千晶ちゃんが至極真面目な面持ちでうーんと唸った。


「俺が? うさ耳つけて踊って? 稲葉のことをダーリンって呼んだって?」

「あ、そゆこと!?」


ピースがパチンと噛み合ってあたしは思わず頭を抱えた。
まだまだ甘いわね、あたしも。


「あ、れ…ちあき……?」

「なんだ稲葉」

「おまえ……うさみみは…にあわねー…から……やめ、とけ…」

「「…………」」


やめとけって言われてもねぇ。
多分千晶ちゃんやったことないと思う、ていうかやらないと思うんだけど。
千晶ちゃんは困ったようにあたしを見た。


「こんなにお疲れな稲葉初めて見たんだが……」

「なんか寝不足みたい。ダーリン眠いのに千晶ちゃんの夢見たから余計寝れなくなっちゃったんだって」

「……全く情けないダーリンだぜ」


淡い苦笑いを浮かべて千晶ちゃんは眠りこける稲葉の頭に手を置いた。
思わずスカートポケットの携帯に手が伸びる。
絶好のシャッターチャンスである。
校則で規制されていようがこれを逃すなんて言語道断、田代が廃る。


「――田代」

「な、なに? 千晶ちゃん」

「稲葉が起きたら俺が呼んでたって言っといてくれ」

「――! 必ず伝えるわ、ハニーのお願いだもの!」


びしっと敬礼の姿勢を取ると千晶ちゃんはそのやる気はどこから湧くんだと苦笑いしながら、頼んだぞと言ってふらふらっと教室を出て行った。大方タバコでも吸いに行くんだろう。千晶ちゃんらしい。



ちなみに余談だが稲葉は授業が始まるまで起きなかった。千晶ちゃんの『稲葉が起きたら』という部分を遵守した結果である。



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千晶ちゃんはただぼんやり給水塔で会いたいなーみたいに思ってて、ある日突然はっとして葛藤してたらいい。

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