【猿美】

□Möbius
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Möbius


いつもと同じ様な場面。
喧騒の中で出くわしたのは、似合っているとは微塵も思った事が無い青い制服を着た伏見猿比古。因縁の相手とも言える存在。相棒と呼べるような仲の時もあった筈だが、それはもうこの“現在”には存在しなくて、ただただ八田の中に“事実”として残っているだけだ。
どうして因縁の相手になってしまったのか。明確な理由は自分にはわからなかった。ただ悔しかった。どうしてだと何度問い詰めて見ても、伏見の口からは侮蔑の言葉しか出てこない。八田もそんな伏見を裏切り者と罵る事しか出来ない。
“現在”の二人の間には、あの頃の様な面影は何処にもなかった。
けれどもその根っこの部分は、どこかであの頃につながっている筈だと、八田は思う。
八田は光を反射する腕時計型のタンマツを横目で見た。


伏見の体調がどうのとか、そう言うのは一目見ればわかった。それが今現在でも、昔と変わらない。
ただでさえ血色の良くない薄い唇が真っ白で、一際に黒い髪が映える。黒縁の眼鏡の奥にある蒼だけが剣呑に光っていた。

「今、テメーと戦う気にはなれねぇ」

八田はスケボーから脚を降ろすと、それを片足で跳ね上げて小脇に抱えながらそう言う。

「ふん、そうやって逃げるつもりなのか? 美咲ィ?」

にやりと口角を上げた伏見はそう言い返してきたが、八田は大仰な溜息でもって返事を返した。

「てめぇは本当に馬鹿の塊だなぁ!」

ちっとも昔と変わらない。八田はぎっと伏見を睨みつける。
伏見は決して馬鹿ではない。それはずっと一緒にいた八田にはよくわかっている。逆に自分よりも遥かに頭がいい。けれども八田は、伏見の事を大馬鹿野郎だと思っていた。そんな状態で戦えば結果など目に見えている筈なのに。

「てめぇ昔っからそうだ。そうやって自分の事を顧みない奴を馬鹿野郎っていうんだよ!」
「……」

そうして八田が伏見を詰ると、伏見はじっと目を細めて八田を見返してきた。ほら見ろ、図星だろうが。八田は答えて伏見の蒼を睨みかえす。
弱みを見せようとはしない男だ。例えそれがあからさまにわかる事であったとしても、そんな事よりも自分の願望を叶えるのに全力を注ぐような真似をする。「大丈夫だ」「大したことない」そんな科白を並べて、相手が心配する気持ちなどゴミ箱に捨てるかの様な態度をとる。そうして限界まで立ち続けて、後はぶっ倒れるまで休もうとしない。
昔と何も変わらないのに。
八田はぐっと握った拳に力を込めた。

「猿比古。」

極力感情を込めない様な声で、八田は伏見の名前を呼んだ。伏見はじっと八田を見ている。

「お前、どうしてそうなんだよ」
「……なにがだよ」

八田が言わんとしている事など伏見には瞬時に理解できる筈だ。伏見は頭の回転が速い。ここまで言って、八田が何を言うのか既に予測を付けている筈だ。伏見には人の先を読んで会話する癖がある。そういう類の癖はなかなか抜けないものだ。

「わかってんだろうが! お前、自分の事くらい自分がよく知ってる筈だろ!」

八田は思わず怒鳴った。白を切るつもりで問いかけてくる伏見の態度が気に入らない。ここまで言おうとも、伏見は頑として頷かないだろう。

「ははっ、そりゃ当たり前だろ。だからなんだっていうんだ?」

八田は苛立ちの籠った溜息をつく。一番自分が分かっている。そんな言葉を言った所為で余計に伏見の計算高さが八田の会話力を上回っていると見せつけられてしまった。感情のままに言葉を紡いでも、理論的に会話をつなげる伏見には上げ足を取られるばかりで一向に進まない。つまりは、「自分の事なら自分がよくわかっている。体調の事も含めて全部だ」と言われてしまったわけだ。

なんて無駄な会話だろうか。言葉がこんなにも意味をなさない事があるだろうか。八田はぐしゃりとニット帽を掴んだ。
嘘で塗り固められたものに言葉がつく事で、それがさも真実であるかのように我が物顔でそこに居座っている。
出来る事ならその嘘で出来た偽物を叩き壊してやりたい。
もう、あの時の様に伏見の作った壁の内側に入る事は出来ないのだろうか。自分にだけ許された特権だと思っていた。驕っていたのかもしれない。八田はやる場のない気持ちを噛み潰す様に奥歯を噛んだ。

「人が心配してるっていうのに、お前はいつもそうだな」
「安心しろよ美咲ィ、お前が心配する事なんて何もないだろ? 俺は“裏切り者”なんだからな…」
「あぁそうだな。テメェは裏切り者だ!」

八田は目つきを鋭くして伏見を見る。

「…じゃあどうしてその裏切り者が、そんな泣きそうな顔して笑うんだよ…」

八田は自分以外には聞き取れないくらいの声で呟いた。
またひとつ嘘がそうやって降り積もっていくのが眼に見えるようだ。八田は歯を食いしばって伏見を睨んだ。伏見はそれを満足そうな顔をして受け止める。
あぁ、早くこの大馬鹿野郎がぶっ倒れないだろうか。
八田は不謹慎だと思いながらも心底そう願った。
そうすれば、ベッドなりなんなりに運んで行って看病してやることもできる筈だから。





2014.02.03

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