【猿美】

□The Cat
1ページ/1ページ


The Cat








いつものように言い合いをして、何も言い返せなくなった八田が伏見に殴りかかろうとしたところだった。
妙な光に包まれたと思った後、八田の目の前には伏見の服だけが落ちていた。

「え…? 猿比古…?」

一瞬だけ、八田の顔色が青くなる。
一か所に纏まっている服は、ついさっきまで誰かが着用していただろうという事を現わす様に、上着の中にベストがあり、その中にシャツがある状態だ。そのまますっぽり中身だけが無くなってしまったかのような状態でそこに落ちている。
尻もちをついた状態で放心したまま、八田はしばらくその服の塊を見ていたが、はっと気付いた様にその服を掴みあげた。

「おい、嘘だろ?」

何がどうなったのかはわからない。わからないが、まさか中身が溶けてなくなってしまったのだろうか。
はたと何をしにここを来たのかを思い出す。そういえば、焔舞羅の縄張りを荒すストレインを退治する目的で此処に来たところを、同じ目的でやってきたセプター4を鉢合わせしてしまい、突っかかって来る伏見と言い合いをするうちにカッとなって…

「猿比古…? おい、猿っ!!」

慌てた八田が服を揺らしてみると、中にぐにゃりとした感触があった。

「…っ!?」

驚いて服を離すと、それはもぞもぞと動き、やっと出口を見つけた、という様な感じで襟元から顔を出す。
そこにいたのは、

「ね、猫…?」

フーッと威嚇の声を上げながら八田を見るのは、綺麗な蒼い眼をした黒猫だった。
伏見の服の中に半分身を隠した状態で此方を見ている猫に、頭の中が「???」で埋め尽くされた八田はしばらくそのまま見つめ合っていた。

「おい、お前…猿比古か?」

呼びかけると、猫は一瞬身構えた後、すごい勢いで服の中から飛び出してくる。「わっ」と声を上げた八田の脇をすり抜けて、猫は路地裏へと駆けて行った。

「ちょ、おい! 何処行くんだ!」

八田は慌ててスケートボードを拾い上げると、猫の後を追いかける。
その後、伏見の服だけが発見されセプター4がてんやわんやになる事はまた後の話だった。



「ンだよ、何処行ったんだ…?」

肩で息をしながら路地裏を走りまわる。どれくらい走ったかはわからないが相当疲れたのは事実だ。スケボーに乗れればそれほどでもないのだろうけれど、ここは入り組み過ぎていて移動するには困難だ。
冬なのに顎を伝う汗を拭いながら、八田はきょろきょろと辺りを見渡した。
すると、前方の塀の上からすとんと地面に降りた黒猫の姿が目に入る。

「猿比古!」

名前を呼べば、黒猫は顔だけを八田へと向けた。蒼い眼。間違いない。猿比古だ。
何処にどういう根拠があるのかわからなかったが、直感がそう告げている。猫はじっと八田を見つめていた。

「……」

今走れば、捕まえられそうな距離だ。けれども、猫も八田も一歩も動かない。否、八田は動けない、と言った方がいいのかもしれない。脚を一歩でも踏みだせば、猫はすぐさまどこかに逃げて行ってしまいそうだ。

「…猿比古…」

しゃがみ込んで、手を下に差し伸べる。
ちょいちょいと指を動かして見せると、猫は興味深そうにそれを見つめて身構えた。
もう少し、もう少しだ。

「おいで、ほら…怖くねーから」

本物の猫にそうするように、小さな声で言う。
猫は体の向きを変えると、低い体勢で恐る恐る近づいてくる。
ただの猫なんじゃないか? 一瞬そんな気も過ったが、八田は根気強く猫を呼ぶ。
指先に鼻が付きそうなくらいまで近づいた猫に、左手を伸ばそうとするとがぶりと噛みつかれた。

「いっ!?」

思わず指を引こうとしたが、ここで怖がらせては元も子もない。八田が顔をしかめたまま指を噛ませていると、猫は上げていた鍵尻尾を降ろして八田の手にすり寄ってきた。するりと手に纏わりつく感触に、八田の表情が緩む。

「ごめんなー。怖かったか?」

すりすりと頭を寄せる猫は、相変わらず鋭い目つきをしていたが、その眼は先程より随分落ち着いた様だった。
けれども抱き上げると途端に不満そうな声を上げて暴れ出す。

「イテテテッ! おい暴れるな猿比古!」

スケボーを脚で跳ね上げて、猫をパーカーの中に押し込むと、もぞもぞと動いて体勢を整えたらしい猫がパーカーから顔だけを覗かせて八田を見上げた。なんとか落ちついたらしい。

「ちょっと大人しくしてろよ?」

そのままスケボーに乗ると、八田は戦況を報告しにバーHOMURAへと脚を向けた。






「八田ちゃん、その猫どないしたん?」

パーカーから顔をのぞかせた猫は、マスターの草薙をみるなり威嚇の声を上げていた。どうやって説明しようかと苦笑いをしていると、その様子をじっと見ていたアンナが無言でその猫を指さす。

「…サルヒコ」

そうして一言そう言うと、草薙は咥えていた煙草を落としそうになり慌てて灰皿に押し付けた。
王だのなんだのに関わる様になってから、自分の回りにおこる現象がフィクションからノンフィクションになりつつあるのは自覚していたが、人間が動物になるなんて言うことがあり得るのだろうか。

「ちょおまってや。そんならその猫、伏見なんか? 八田ちゃん、知ってて連れて来はったん?」
「あぁ…えっと、そうっすね。猿比古と戦ってて…なんか光った後、気付いたら服だけになってて、その中にコイツが…」

要点を得ない回答だったが、状況はわかった。草薙は新しく取り出した煙草に火を付けて紫煙を吐き出すと、こめかみを押さえてうーんと唸る。
今の伏見はセプター4の人間だ。此処にいるのはあまりいい事ではないし、八田の話から察するに服だけはその場に残してきてしまっている様だ。おそらくあちらは血眼になって伏見を探しているだろう。

「あかんわ、八田ちゃん。返して来なさい」
「えーっ! そんな…」

まさに猫を拾ってきたら母親に言われる様な科白を言われて、八田は愕然とした表情で草薙を見上げた。

「で、でもコイツ、本当に猫みたいになっちまって…何とかしてやらないと…」
「そうやったら、あっちの方が専門やろ。いろいろストレインの情報もっとるんはあちらさんの方や。今俺が連絡とったるから…」
「いいです! 俺が何とかしますから!!」

今でも、何故あんな事を言ったのかわからない。
八田はパーカーの中に入っている猫を抱きしめてそう言い放つとバーから飛び出した。
伏見が元に戻るのなら、早くセプター4に引き渡した方がいい。そんな事はよくわかっているのに、何故だろう。このまま伏見が猫のままでいいはずなどない。
とぼとぼと家路を歩きながら、八田はうんうんと頭を悩ませた。
伏見は裏切り者だ。けれども、八田には未だにわからない。何故伏見が自分たちを裏切ったのか。
まったくわからない。伏見がいて、周防がいて、焔舞羅のみんながいれば、それで八田は楽しかったのに。幸せだったのに。

「…猿比古、お前どうして…」

そう呟こうとして、八田ははっと息を飲んだ。
自分の住んでいるアパートの階段に、でかでかと書いてある字に顔面が引きつる。
勢いで連れてきてしまったが、八田は盛大な溜息をついた。
『ペット厳禁』
いままでそんな看板なんて気にも留めた事はなかった。ペットを飼おうなんてこれっぽっちも思った事はないし、そんな余裕はまるでない。部屋を開けている事も多かったしペットなんて飼うだけ可哀そうなだけだ。
けれどもここで引くわけにはいかない。何か正当な理由がないかと八田は頭をフル回転させた。

「…でもお前鳴かないよな…ずっと鳴いてないもんな」

話しかけると、猫は少しだけ眠たそうな眼で八田を見上げる。透明な蒼い瞳。

「静かにしてればバレないよな?」

頭をなでてやると、眼を閉じた猫がすりすりと手に頭を押し付けてくる。
こんな時期に外に出してしまうのは可哀そうだ。

―猿比古は寒がりだしな…。何より猫じゃねーし…。

そう言い聞かせて、八田はアパートの階段をそろりそろりと登って部屋まで入ったところでふーっと息を吐いた。なんとか誰にも会わずに部屋までたどり着くことができた。これで第一弾会はクリアだ。スパイ系のゲームでもやっている様な心境に少しだけ高揚した。
猫は八田が安心したことを悟ったのか、もぞもぞと動いてパーカーから飛び出すと、すとんと床の上に降りて八田を振り返る。

「腹減ったか? お前が食べられそうなものなんかあったかな〜…」

そう言いながら部屋の電気を付け、ついでにこたつの電源も入れると、猫はすぐさまその中にもぐりこんでしまった。寒い時にはそうやってすぐこたつに入って身を屈めている猿比古の事を思い出す。自然と笑みが零れて、八田は冷蔵庫の中を覗き込んだ。

「じっとしてろよー? 今なんか食べられるもの探すから…」

―後で猫の餌とか買ってきた方がいいかな。あいつ野菜くわねーし…って、猫って野菜食うのか?

うんうんと頭を悩ませながら冷蔵庫を閉じて、買い置きしてあったツナの缶詰を手に取った。

―これなら食えるだろ。

皿に盛り付けてやって、こたつを捲る。

「おーい、猿比古?」

中をのぞけば丸くなった猫が毛づくろいをしているところだった。こうして見ると完全に猫だ。猿比古の原型など、目の色と毛の色以外には全く残っていない。

―……、本当に猿比古、だよな…?

自分の直感を盲信するタイプの八田だったが、流石にこれは少し疑わざるを得ない。
苦笑していると、猫は差し出した皿のシーチキンの匂いを嗅いでぺろりと舌を出した。八田の口からほっと溜息が出る。偏食かの伏見は魚類もあまり好まなかったが、これだけは文句も何も言わなかった事を覚えていたので、食べられると踏んだのだ。
しかし疑問が拭い去られたわけではない。
どうしたものかと考えながら、八田は自分の夕飯を作ろうとキッチンへ立った。

明日になれば治ったりするんだろうかと考えながら。







2014/1/5

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ