短編

□臆病詐欺師の独白
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「仁王ー」

「なんじゃ」

「んー、やっぱりなんでもない」



口を開くとつい言いたかったことが消えてしまう。この感覚は初めてではない。
仁王はそうか、と呟いたきり特に私を言及しようとはしない。
それは私が嫌われているわけではなく、相手が丸井や柳でも同じ反応だっただろう。
来る者拒まず去る者追わず。この言葉が仁王ほど似合う男を私は他に知らない。



「また数学サボっちゃったよ、そろそろ出席日数やばそう」

「阿呆じゃのう、留年してもしらんぜよ」

「仁王だって同じでしょ」

「俺はちゃんと計算しちょる」

「うっわー裏切り者ー」



仁王は部活を引退してから以前に増して授業をサボるようになった。
普段は開け放たれていない屋上のいつ作ったかわからない合鍵を使って、いつも彼はそこに寝転んでいた。
仁王とクラスが違う私は頻繁にそこへ行っては仁王がいるときは一緒に屋上へ、いないときは一人でそこへ続く階段で嫌いな授業が終わるのを過ごしていた。



「どーよ、テニス部の連中は」

「どーって?」

「みんなまだテニス続けんの」

「さあ、真田と幸村と柳は確実に続けるじゃろ」

「丸井とか柳生は?」

「わからん。ただこれを期にやめる奴も多い」

「…仁王は?」



踏み込んでいいのかわからない境界線。
そこに足をほんの少し入れてみる。臆病者の私は内心心底怯えてる。
そんな私は知らんぷりで仁王はただ嫌になるほどに青い空を眺め続けている。



「どうじゃろうなあ」

「やめるの?」

「それも悪くなか」



それが本心かどうかなんて所詮サボり仲間でしかない私にはわからない。
それでも今まで毎日テニスバックで登校していた仁王がスクールバックに変えたときの切なさを、私は知っている。
変わらず仲がいい丸井達ともテニスの話をしなくなったのを、私は知っている。



「もったいないよ、仁王強いのに」



本心だった。
王者と呼ばれる立海でレギュラーをとるだけあって仁王はとても強い。
柳生と組んでいたダブルスでもシングルスでも、とても強かった。



「…俺くらいのやつ、そこら中におる」



そう言ってむくっと唐突に起き上がる。顔は未だに空を見つめたまま。
長い前髪のせいで一人寝転んでいる私にはその表情は掴めない。
まだ高い日差しが仁王の銀髪をきらきらと照らした。
純粋に、綺麗だと思った。



「俺は幸村達とは違う」



幸村達は立海のビッグスリーと呼ばれていた。
三人の強さは全国の中でも特に秀でていたらしい。
そんな三人は引退した後もたまに部活に顔を出しては後輩の指導をしている。
次期部長候補らしい切原くんはぶつくさと文句を言いながらも嬉しそうだ。
でも、元テニス部のレギュラーでそんなことをしているのはその三人だけだった。



「どう頑張ったってあいつらには追い付けん」

「なによ、詐欺師のくせにそんなにすぐ諦めんの」

「詐欺師は昔天才に負けたっちゃ」

「なにそれ」



詐欺師なんて呼ばれていた癖に仁王はひどく繊細だ。
自分のことも相手のことも痛いほどにわかっている人だ。
時折幸村のことを羨ましげに見つめてること、私は知っているんだから。本人が自覚しているかはわからないけれど。



「じゃあ、卒業したら仁王はどうするの」

「お前さんだって決まってないじゃろ」

「私はきっと平々凡々な人生を送るんだと思うよ。普通に仕事して、普通に結婚なんてしちゃったり」

「ほう。結婚相手の顔が見てみたいきに」

「うるさいわ」



私もゆっくりと身体を起こす。
ずっと寝ていたせいか急に起き上がって頭がくらくらする。貧血気味なのはいつまで経っても治らない。
眉間に手を添えたまま隣りを見れば仁王の手には一枚の紙があった。
白い紙の頭には大きく【進路調査書】と印刷されてある。



「なにそれ」

「進路調査書。今日配られたんじゃ」

「ああ、そういえばもらった気がする」

「プリッ」



その小さな紙は仁王の手の中で折られて更に小さくなっていく。
私もやろうかと思ったけど生憎鞄の中に入れたままだ。



「なんて書いたの」

「第一希望が詐欺師」

「もうなってるじゃん」

「第二希望がパティシエ」

「それ丸井でしょ」

「第三希望がお花屋さんじゃ」

「絶対担任に呼び出されるよ」

「だから出さん」



嘘つき。
冗談でもテニスのことを一つも入れられないくらいテニスが好きな癖に。
仁王の進路調査書はいつの間にか一つの紙飛行機に姿を変えていた。
それを自分の目の高さで構えてみせる仁王はどこか子供っぽかった。



「仁王」

「なんじゃ」

「テニス好き?」



聞きたかった問い。たったの一言だった。
それでも、ようやく聞けた。
喉につまっていた小骨が取れたようだった。
仁王はほんの一瞬だけ黙った。



「大嫌い、」








「…じゃったら、こんなに苦しまんのにのう」



これが彼の本音。
詐欺師である一人の男の子の、ちっぽけな本音だ。
そうだね、と呟いた私の言葉の後に仁王は持っていた紙飛行機を屋上から飛ばした。
真っ直ぐに空を進むそれに彼は何を見たのだろう。



「ばかだなあ、仁王は」

「…そうかもしれん」



君の背中はいつだってテニスがしたいと叫んでいるのに。
それは丸井や柳生だって、幸村や真田だって変わらないはずなのに。
どうしてこうも上手くいかないんだろうね。



「俺は大馬鹿者じゃ」

「そうだよ」



そして私と同じ臆病者だよ。



仁王の飛ばした紙飛行機はゆっくりグラウンドにおちていった。








臆病詐欺師の独白





(自嘲気に笑った彼は、)(今までで一番綺麗に見えた)




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