★徒然文★
□忘れな草
1ページ/1ページ
それは梅雨の日だった。
小さな老舗の喫茶店には、小柄なマスターの煎れたコーヒーの香りが漂っていた。
商店街のアーケードでは、水滴のついた傘をとじ、雑貨を眺める女性が居た。
大型チェーンの喫茶店で働く男性は、きびきびとした動きでコーヒーを煎れていた。
川沿いに広がる草を踏みしめ、傘をくるくると回して帰る小学生が居た。
アパートで通販番組を見ながら寝転がっている、夜勤のアルバイターが居た。
ごく普通の1日が、ごくごく普通に終わりかけていた、梅雨の日であった。
長く続く雨のせいで犬や猫など動物たちの姿はあまり目にすることはなく、街にはただ傘を差して歩く人間と車のワイパー、多量の雨水が在った。
泉は小さなビルの清掃アルバイトをしている。大学を卒業してから今まで半年の間、色んな職を転々としてきた。初めはアーケードにある小さな映画館、ゲームセンター、事務員、スーパーのレジ、ガソリンスタンド、洋服を売る仕事、ティッシュを配る仕事……。
持って2週間、最短で3日だった。原因は色々ある。ベテランの従業員に罵られ泣く泣く辞めざるを得なかったこと、仕事の能力が認められず研修期間後打ち切りになったこと、体調を崩したこと。
泉は職を転々とするにつれ、自信を失っていったのだった。
「どうせ私なんか…使い物にならない、どうしようもない人間なんだ……。」
「グズで、ドジで、おまけにちょっとだけブスで、内向的で根暗で…これといって趣味もないし、心を開ける友達だっていない……。」
自分の事を思考すると、泉はたちまちどんよりするのであった。こんな調子でこの半年間を過ごしてきたのだった。
今は、清掃のアルバイトをしている。泉がいつも清掃するのは、アーケードから目と鼻の先にあるほどの小さな貸しビル、それとアーケード内にある大きなデパートの中であった。
それぞれ貸しビルは朝6時からだいたい9時ごろにかけて掃除し、夜8時から11時の間に閉店後のデパートを清掃する、というパターンだった。これを月曜から金曜まで一日置きにこなし、たまの土曜にはワックスがけなどの大掃除をするのだ。
とても退屈な作業であった。しかし、泉はやっとなんとか自分にもこなせる仕事を得たのだと、安堵していたのだった。
今日も朝4時半に目覚め、泉はアルバイト先へ向かった。