★妄想の釜:雨格子の碗

□暗闇の終わり
1ページ/2ページ


「コーヒーでも飲みましょうか。眠気覚ましに」
 日織がそう言ったのは、和がベッドに入り、日織と椿の花札勝負が始まってからだった。
「そだな。台所行くか」
 正直、頭の隅が霞んで来た頃合いだったので、すぐに賛同する。そして立ち上がりかけた椿を、日織が片手で制した。
「俺が二人分入れて来まさぁね。……椿さんは部屋から出ない方がいいでしょう」
「………………」
 その台詞で、忘れかけていた現実を思い出す。
 ……自分は命を狙われているのだ。
「俺が出たら鍵をかけて、誰が来ても絶対に開けないで下さいな」
「あ、ああ……」
 わずかに顔色を曇らした椿に、日織はすまなそうに眉を傾ける。先程までの明るい空気を消してしまった事に、罪悪感を感じたのだろう。
 気の使い方がずれている、と評されていても、人が善いのは確かだ。
 椿はわざと明るい、しかし和に配慮した押さえた声で、扉に向かう着物の背中に言ってやった。
「気をつけろよ。犯人に襲われたら、遠慮なしにやっつけちまえ。執事の俺が許す」
 日織は返事代わりに微笑して、廊下に静かに消えた。椿は言われた通り、扉に鍵をかける。
 格闘技に興味はあるが詳しい訳ではない椿でも、纏う空気でそうと解る程、日織は強い。
 だから、一人で離れても日織なら大丈夫だろう。――例え犯人に出くわしたとしても、だ。
 そう自分に言い聞かせ、しかし多少の不安を消せないまま、椿は部屋を見渡した。そして視線が一点で止まる。
 相変わらず安穏とした寝息をたてている、和だ。
 沈黙の重さに耐え切れないのと、他に見るものもないので、そっと足を忍ばせて近寄り、顔を覗き込んだ。
 最初に見た時と変わらない、平和な寝顔が見えた。年相応に見えないのも同じだ。
 ……呑気なツラしてやがる。
 多少苛立ちを感じたのは、和と椿の立場の違いを思い知らされたような気がしたからだ。八つ当たりだと、解ってはいたが。
 和は決して殺されない。部外者だから。犯人に殺されるために呼ばれた自分とは違う。その意味では、日織は椿の仲間で、和は異端者なのだ。
「………………」 
 気分が再び陰鬱に傾き、空気が更に重くなったような気がする。
 和の顔を眺めるのにも飽き、花札が散らばるテーブルに戻ろうとして、
「…………?」
 視界の隅に何かがひっかかった。
 ベッドの傍らに戻り、片膝をついて和との距離を縮める。だが見るのは寝顔ではない。
 起こしてしまうかもしれない。躊躇いながらも、しかし椿はゆっくりと手を伸ばす。
 和を包んでいる寝具の端を、そっとつまんで上げた。わずかに見えていた和の指先が、手首からあらわになる。
 こちらに身体を向けて寝ている和の顔。その前に投げ出された、力の抜けた両手。
 椿は布団を持ち上げている手とは反対の手を伸ばし、怖々と和の手に触れた。軽く握られている指先を、良く見えるようにこちらに傾けると。
 赤く腫れた、和の指が見えた。
「…………っ!」
 瞬間、目の奥が熱くなったのを自覚し、反射的に瞼を閉じる。そうしなければ、泣いてしまうところだった。
涙を流していなくとも、今の自分の顔を誰かが見れば、泣いていると思っただろうが。


次へ  

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ