短編

□徒花
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※遊郭パロB

タルルと同じく潜入捜査を割り当てられたゾルルがそれを断ったので、ガルルは仕方なく彼に周辺地域の実態調査を任せた。
メイン観光地である妓楼以外は、老朽までしても整備は後回しにされているのか埃が被った印象がある。妓楼を取り囲む各地域にはそれを境にするように水路が引かれ、あみだくじのような橋が架かり、移動用の小舟が泊められている。地下に網目のように引かれた電線は、水路と都市をぐるりと囲うように建てられた鉄塔と町中の電灯に灯りを供給している。
その日、ゾルルは都市全体を見回り終えたが、小隊が滞在している大使館へ戻る気にはなれず、気の向くままふらふらと探索していた。商業地域と工業地域の境の水路は、夜になると頼りない電灯に照らされ、淋しいどころか怪しい雰囲気がある。
何か、狂人か怪人でも今にも出てきそうな空気だったが、ゾルルはむしろそれを楽しんでいた。
「お兄さん、お兄さん」
か細い女の声がする。声を掛けられたのかとゾルルが見渡すと、こちらだよ、と声は誘ってくる。
水路の一段上の道と向こう岸へ架かる橋の高架下、電燈の光が届かない暗がりから声が聞こえる。ごたついていて得体の知れない物陰は、近づけば木の板や網などのがらくたで作られた小屋だと判った。ゾルルが中を覗き込むと、僅かに光る人の目が見える。
「誰だ。俺を、呼んだか」
「呼んだよ。いらっしゃいお兄さん。こちらへおいで」
そうして手を伸ばしてくるのをゾルルは容赦なく打ち払った。生白いが不健康に痩せている女の手だった。ああ痛い、と文句を言いつつも、女は楽しげにくすくす笑っている。
「何のつもりだ」
「この辺りを歩いているなら判るだろう。私は夜鷹だよ。それともただの迷子だったかい」
夜鷹、と聞いてゾルルは口の中で言葉を繰り返す。それが何を意味するにせよ、物乞いの類だろうと見当をつけた。中央の華やかな花街と打って変わり、こうした貧民層もいるのだということはゾルルも調査を続けるにあたり知っている。いい機会かもしれない。ゾルルは決して中に引っ張り込まれないように注意しつつ、中の女に探りを入れる。
「俺は外の星から来た者だ。この星をこの目で見たが、評判と違うようだな。何か知っているか」
「何かと言われても…」
「…お前は何故そこでそのような生活をしている」
「ああ…不躾で意地悪なことを訊くね」
非難するように、それでいて可笑しそうに笑っている。光っていた目は遠くなり、物音から彼女がごろ寝したのだと判った。小馬鹿にしたような態度を前に、ゾルルは手甲をちきりと鳴らす。
「何故、だろうね…生きていたら、こうなってしまった。日々の飢えを恐れて、今は昔の春を叩きうる。それしかないのさ」
「…遊女だったのか?」
昔はね、と女は懐かしむようにぼやく。彼女の生業を知り、ゾルルは顔を顰める。自分のような外来星人にも声を掛けねば生活がままならないのか。
「何故、落ち零れた。ここの遊女は一生働かされるほど、有益な遺伝子を誰もが持っているんじゃないのか」
「ああ、はは…それは、どうなんだろうね…」
女は乾いた笑いを零している。風俗文化を観光材料と外交商材にしているその実態が、虚構だというなら甚だ由々しき事実だ。
「お前の知っていることを全て話して貰おうか」
「ええ…?何も、知らないよ…」
「命が惜しければ正直に話したほうがいい」
白を切る女にゾルルは手甲から刃を出して切っ先を向ける。ゾルルの脅し文句に沈黙していた女は身を起こし、顔を小屋から出してきた。
夜の灯りに照らされた、生白くてやせ細った顔は、昔の面影を残して幾分整っている。目を細め、乾いた唇を弧に描くと、女はゾルルの刃を指で突いた。
「命より、金のほうが重いんだよ。ただで話す気はないね」
「…足元を見やがって」
くっくっく、と喉で笑い、女は小屋の中へ戻っていく。ゾルルは刃を手甲に仕舞い、彼女に続いて中へ入った。

女が、え、と口を開け、手拭いに精を吐き出すのを見て、何とも言えない気持ちになり、ゾルルは目を逸らした。後始末が終わり、女が一息つくと、ゾルルはそれで、と切り出す。
「なんだったっけね」
「おい…」
「あはは。すぐ怒るんだから」
「……」
ゾルルが睨んでもからからと笑い、灰皿からしけもくを拾い始める女。火をつけて一息喫するのを待ち、ゾルルは腹立ちを紛らわすように溜息を吐いた。女は煙草を唇に引っかけながら、もごもごと話す。
「まやかしだよ」
「…何?」
ゾルルの聞き返しに、女は煙草を弄りながら続ける。
「だから、まやかし。あってないようなものさ。私たちの遺伝子が、種に繁栄をもたらすなんてどうしてそうなったんだろうね。背びれや尾びれでもついたんじゃないのか」
「…適当なことを…」
「信じられないか?じゃあこうだ。私たちの中で本当にそういう子が居て、私たちはそれに付き合わせられた徒花。ってとこかね。それにしたってここまで盛り上がるとちょいと大袈裟だがね」
女は淡々と話す。簡潔に話された内容は却って真実味がある。交渉を経てまで嘘を吐くほど命知らずでもあるまい。それでもこの女が夜鷹になる経緯は図れず腑に落ちない。ゾルルはガシャンと身を乗り出して女の顔を覗き込む。
「…お前はどうなんだ。無い、から、ここでこうしているのか」
「拘るねえ。どうでもいいだろ、私がどうだろうと」
ニヒルに笑み、女は吸い殻を不味そうに灰皿へ戻す。
ガルルに報告する情報には関係がないかもしれない。自分が興味本位で訊いていることを覚り、ゾルルは元の位置に戻った。
調査をしていて、この都市に貧民はいるにはいたがよく見なかった。助ける政府も同胞も観光客も居らず、野垂れ死んでもすぐ片付けられたんじゃないかと推測する。
それを鑑みるとこの女はしぶとく生きのびているように思う。売春をしているにしたって特異性があるんじゃないか。と、ゾルルはある種の予感に似たものを感じていた。

ゾルルが金子の入った小袋を女に渡すと、彼女は目を瞠って驚き、嬉しそうな声を上げた。
「こんなに?なんか悪いね、大したこともしてないのに。もっとしてあげようか」
「結構だ。とっておけ」
立ち上がって軽口を一蹴するゾルルに、女はふくく、と含み笑いを漏らしている。
「いつでも来ておくれ。お釣り分があるからね」
ちゃりちゃりと、重さを楽しむように小袋を上げ下げする女にゾルルは呆れて目を細める。しぶとく生きている理由は、彼女の性格にも因るものかもしれない、と考えを改めた。
「…丈夫で強かなお前なら、働き口はいくらでもあるだろう。その金を有効に使うことだ」
「お説教は勘弁だよ〜」
気にした様子もなく、歌うように言っている。ゾルルは小屋の出口に申し訳程度に掛けていた板をずらし、外に出た。振り返ると、見送るために顔を出した女がにんまりと笑い、手を振っている。
「またおいでなんし〜」
ふざけたように、昔馴染みの廓詞で別れの挨拶をする。ゾルルは鼻で笑い、ああ、とだけ返してその場を後にした。

彼が居なくなった小屋はどうしてか幾分寒々しく感じる。
「ふ…きさんじなもんだね、ぞっとしちゃった」
女は彼の面影を思い出して少し笑うと、戸替わりの板を掛けなおし、中へ引っ込んだ。

END.

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