03/13の日記
17:58
春はいつだって
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春はいつでも
幸せの中にいる
幸せの大きさなんて関係ない
“幸せ”の語源、自分の手と誰かの手の“シワ合わせ”から分かる様に春にはいつも誰かの手があって、いつでも掴める
それはすごく大切で幸せな事
標津には両親や親戚、従兄弟、友達、前職場の人、春個人で知り合った人…全員が春が帰ってくるの“待ってた”って言ってくれる“帰っておいで”って優しくしてくれる。
挨拶の一貫かも知れないが、春に向けてくれた挨拶であれば“おはよう”でも“おやすみ”でも涙が出そうになるくらい、何でも嬉しい。
春はやっぱり単純でどんな人も大好きで大切…“面倒臭い”って口癖はただ甘えてんの。
あまのじゃくだから素直に甘えらんないのよ
札幌は大嫌い。札幌の人間も嫌いだけど人も嫌い。
いつも忙しくて、顔が強張ってて、“みんな敵”みたいなオーラを感じる。
けど、いい人もいる。
ただ一所懸命荒波にのまれない様に強く生きてる。だから札幌は強い
だから春は札幌の人をスキになろうと思う。
夢を持ってる人はすき、信念のある人はすき、弱くても強く生きてる人はすき。
春は自然でいたい
春の名前は季節の名前で、自分で言うのもなんだけど自分にピッタリだと思う。
実家帰って来て春は春(Spring)がもっと好きになった。暖かくて、気持ちくて、清々しくて、優しくなれる。
だから春もそれ(自然)になりたい
札幌でそんな存在になりたい
春は怒らない、イラっとするかもだけど。
誰にでも優しくありたい
自分はどうでもいい
困ってる人に精一杯尽くしたい
それが春の生き方、そして目標
難しいが、そんな気がしてる今日この頃
春は本当に幸せだ。
いつまでもこんな春でいたいもんだ。
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