不透明な僕らは、

□過去編
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by myself











「雅人ー、今日はもう上がっていいぞー」

「はい!お疲れっしたー!」



居酒屋の厨房で洗いものをしていると、バイトの先輩がホールから顔を覗かせた。
櫻井雅人は最後の皿を洗い終わると、タオルで手を拭きながら備え付けの時計を見上げた。

時刻は午前4時過ぎ。

今日はいつもより少し早めに終わった。



「うぇ、寒っ!」



店の裏口から外へ出れば、暗い夜空に雪がチラホラ舞っている。
吐く息が白く立ち上るのを見て、雅人は首にぐるぐると巻いたマフラーに鼻まで埋めた。



大学2年の今年は、正月も家には帰っていない。
1年生の頃は、正月くらいは、と思って帰ったのだが、2年目にもなるとそれも億劫になってしまう。
なにより、正月時はバイトの稼ぎ時でもあるのだ。

それほど金に困った生活はしていないが、余裕があるわけではない。
稼げるときに稼ぐ。それが雅人のやり方だった。

まだ正月休みが開けるまで数日がある。

友人たちは今頃、実家でぬくぬくと眠っているのだろう。
雅人はマフラーから顔を出すと、冬特有の澄んだ空気にハーッと息を吐いた。



小さな頃は、こんなことをしては楽しんでたな。



ぼんやりと、雅人は小学生くらいの自分を思い出していた。

自分の息が白くなるのが、無性に楽しくて、何度も何度も繰り返していた。どこまで昇るかな、なんて上を向いて息を吐いていた。
母と手を繋いで買い物に行っていた時までしていたら、危ないから前向いて歩きなさい、と諌められたこともあった。



あの頃は、何をしても楽しかったな。



まだ暗い空を見て、雅人は無性に叫び出したい気持ちに刈られた。



淋しいわけじゃない。


家が恋しいわけじゃない。



なんとなく、情けないのだ。



大学もほとんど休み、バイトに明け暮れて。

自分は一体、何がしたいんだろうか。

1年が始まったばかりなのに、自分はもう足踏みをしている。



「あー、クソッ」



道端に転がっていた空き缶を思い切り蹴り飛ばす。
カラン、カランと甲高い音を立てながら、凹んだ空き缶は道路を跳ねる。

雅人はポケットからタバコを取り出すと、ライターで火をつけた。
思い切り息を吸い込めば、煙が肺を満たし、ほんの少しだけ気分が落ち着いた気がした。

フゥと肺の底から息を押し出すと、白い煙がゆらゆらと空へと立ち上る。

その景色が、小さい頃必死に上を向いて息を吐いていた頃の景色と重なった。



「何してんだろ、俺…」



ハッと自嘲すると、まだ半分以上残っているタバコを地面に投げ捨てた。
グリグリと爪先で火を消せば、無残な姿になったタバコが地面に張り付いている。

雅人は何気なく携帯電話を取り出した。
ピカッと、小さなランプがメールの着信を知らせている。

バイトに入る前には来ていなかったはずだが、誰だろう。


雅人は慣れたように片手で携帯電話を開くと、メールを開封した。



「………」



暗闇で見るには目に痛い光を発する携帯電話の画面には、櫻井みち子の名前。



「……無理しちゃって」



間もなく50も半ばに差し掛かる母からのメールには、いつものような母親らしい内容の文面に、かわいらしい絵文字がちりばめられている。

どうせ、妹にでも教えてもらったのだろう。


ふ、と思わず笑いが零れる。
自分でも、泣きそうな笑いだと思った。



「…春休みは、帰ろうかな…」



あと2ヶ月もすれば、大学はまた休暇に入る。
正月とは違い、帰省ラッシュもないだろう。


雅人は、自分を心配する文面に苦笑しながら、携帯電話をパタンと閉じた。


先ほどよりも、少しだけ軽くなった気がする足を動かして、雅人は1月の寒空をのんびりと歩く。


ハァーと空に向かって息を吐けば、白くくもって、天高く昇っていった。



なんだかそれが不思議と楽しくて、雅人はクックッと小さく笑った。







THE END








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