不透明な僕らは、

□第6章
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「う…ぁー…ん」



激しい雨が水面を叩く音に混じって、子供の泣き声が微かに聞こえてくる。
やはりあの黒い影は子供だったようだ。

ようやく駅の入口にまで辿り着いた花井は、一度泉たちを振り返った。
巣山たちと合流した泉は、3人でこちらに向かっているようだ。

3人の姿を確認した花井は、気を引きしめると、水没した改札口を慎重に乗り越えた。
改札口から入ってすぐ右手にある歩道橋を渡ってホームまで急ぐ。

階段はまだ浸水しきってはいないが、地震の影響かかなりぐらついているようだ。帰りはこの歩道橋を使うよりも、ホームと改札口の間にあるフェンスを乗り越えた方が安全かもしれない。

そんなことを考えながら、花井はホームへと降り立った。



「おかあさぁぁん」



ホームの端の方に、その少年はいた。



「おい!大丈夫か?」



大声で泣きじゃくる少年の元へ駆け寄る花井の視界に、少年の傍に倒れている人影が飛び込んで来た。少年が縋り付いている様子からも、それが少年の母親だとわかる。



「…ウッ…」



地震の時に地面やベンチに体中をぶつけたのだろうか。少年の母親の顔は青紫色に腫れ上がっていて、面影も残していない。
母親に対し、少年は多少の擦り傷はあるものの元気なようだ。もしかしたら母親が少年を抱き込んで庇ったのかもしれない。

花井はまざまざと見る遺体に吐き気を堪えながら少年の腕を掴んだ。



「ここは危ないから、一緒に行こう」

「やだぁ!!お母さんと一緒にいる!!」



わんわんと泣き続ける少年に、花井は困ったように眉を下げたが、このままここにいては少年はもちろん自分も溺れてしまうと思い、少年の傍に膝をついた。



「このままここにいると、君まで死んじゃうかもしれないんだよ。お母さんだって、そんなの望んでいないよ?」

「お母さん、し…死んじゃったの…?」



母親の服の袖を掴みながら、少年は涙に濡れた目で花井を見上げた。その目を見て、花井はしまった、と自分の不用意さに心の中で舌打ちした。
少年はまだ1、2年生くらいの歳だ。まだ生き物の生死についての実感を持てていないのかもしれない。
この少年の様子からも、もしかすると母親の死を理解していないのかもしれないのだ。もしそうであれば、自分はなんと酷い事実を少年に突き付けてしまったのだろうか。

花井は少年の怯えた瞳にズキリと胸が痛む思いがした。



「そう…だよ。君のお母さんは、多分、君を守ったんだ。だから君は生きなくちゃいけない。お母さんの分も…。だから、一緒に行こう」



初めて目にする親の死に震える少年の頭を、花井は優しく撫でた。
そして妹たちのことを思った。


二人は…、そして両親は、無事なのだろうか。
静かすぎる街を通って来て、その不安は膨れるばかりだった。
本当なら、一刻も早く家へ戻りたい。けれど、今は戻れるわけがない。
戻る途中に何があるかわからないのだ。もし家族が無事でも、自分が死んでしまっては家族に辛い思いをさせてしまうことになる。

だから、今はただ生き延びることを考えるのだ。自分の身は、自分で守るしかないのだ。

全てが終わって、生き延びて、そして家族と再会を喜ぶんだ。


花井は今まで、そう考えてやってきたし、それが間違いだとは思っていない。
けれど、小さな少年の姿を妹たちの姿と重ねてしまえば、やはり迷いが出てしまう。

今この瞬間にも、家族の誰かが苦しんでいるんじゃないか。
もしかしたら、死んでしまっているんじゃないか。

溢れ出す不安を遮ったのは、冷たい、小さな手の平だった。



「お兄…ちゃん?」

「あ…。あぁ、ごめんな。さぁ、行こう?」



自分の手に重ねられた小さな少年の手をとって立ち上がる。
少年はまるで母親の姿を目に焼き付けるかのように、じっと見つめている。
まだ小さいにも関わらず、自分の拙い説得を理解してくれた少年は、花井にはどこか眩しく見えた。

きっと、少年の母親は素晴らしい人物だったのだろう。

花井は遺体に手を合わせると、少年の小さな手を引いて歩き出した。
花井が手を繋いぐと、少年はキュッと手を握り返して来た。
その手を優しく握りしめながら、この小さな少年を絶対守ろうと花井は心の中で決意した。




「花井!大丈夫か?」



階段近くまで行くと線路を挟んだ正面の改札口に泉たちの姿が見えた。
泉たちも少年の元気そうな姿に安堵の表情になったが、その顔はすぐに真剣なものに変わる。



「花井!階段は使うなよ!外側に大きなヒビが入ってて今にも崩れそうだ」



ホームと出口を繋ぐ階段はやはりもう限界だったようだ。
先ほど花井が渡った時に崩れなかったのはただの偶然に過ぎない。
その時に崩れなくて良かった、と息を吐くと花井は背筋に冷や汗が伝うのを感じた。



「線路を少し行けばフェンスが途切れる!そこまで行って合流出来るか!?」



阿部が右手を真っすぐに線路の奥へ伸ばす。
雨に遮られてよく見えないが、確かに少し行けば線路沿いに続くフェンスが途切れているのが見える。そこから更に少し行けば通学路に出ることができる。

少年を抱えたままフェンスを越えるよりもそちらに行った方が学校にも近づけて一石二鳥だ。



「わかった!じゃあそこで合流だ!」



雨音に掻き消されないように大声を出すと、泉たちは頷いて出口へと引き返して行った。
花井はそれを見届けると、水に沈んだ線路へと近付いた。





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