不透明な僕らは、

□第5章
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水に足を取られながらも、四人は何とか病院の外へと出ることが出来た。



「風が強いな…」



横殴りの強い風が水面を激しく揺らし、水しぶきが立っている。
風と雨によって目を開けることさえ困難な状況で、花井たちは水に沈んだ瓦礫を避けることが出来ず、行き以上に危険な道程になっている。



「うっわ…!!」

「大丈夫か?」



耳元でゴーゴーと音を立てる風の合間に、小さな叫び声が聞こえて巣山は振り向いた。
巣山のすぐ後ろで、冠水した瓦礫に躓いたのか、泉が半身以上水に浸かった体勢でしゃがみ込んでいた。



「怪我は?」

「大丈夫だ」



泉に手を貸しながら尋ねる巣山の視界に、妙な波紋を作り出す水面が見えた。



「な…なんだ…?」



それは次第に雨が水面を叩く波紋も消し去って、どんどん辺りに広がっていく。



「花井!様子がおかしい!」



巣山は前方を歩いていた花井に向かって叫んだ。
花井と阿部は巣山の声に振りかえると、水面の変化に気付いた。

阿部は暴風雨を防ぐように目を細めて周りを見渡すと、何かに気付いたのか、小さく舌打ちをした。



「まずい!!地震が来るぞ!!早くこっちへ来い!」



阿部がそう叫ぶと、まるでそれがスイッチになったかのように水面が慌ただしく揺れ始めた。
始めは震えるような細かな波紋が、次第に水滴を上に打ち上げるような、重力に逆らった波紋を作り始めた。



「病院から出来るだけ離れるんだ!!」



阿部の叫びに巣山と泉は無心で足を動かした。
しかし、数歩も行かないうちにまるで重力が無くなったかのように体が浮いた。

ついこの前体験したあの時の感覚と一緒だ。

泉は思わず、身近にあった車の標識に捕まった。



「巣山!」



揺れに耐え切れず水の中にしゃがんでいた巣山を呼ぶと、泉は手を伸ばして巣山の服を掴んだ。
巣山を引っ張り寄せると、二人は揺れが収まるまで必死に標識にしがみついていた。

地震によって波立つ水面と、相変わらず激しく降り注ぐ暴風雨のせいで、少し離れた所にいる阿部たちの姿が全く見えない。



しばらくすると、揺れは次第に収まって来た。
地震の余韻で揺れ続ける水面も、次第に元のように雨に打たれて揺れるものに戻っていった。



「泉!巣山!大丈夫か!?」



揺れが収まると、阿部と花井が立ち上がって泉たちの方向を見ていた。
二人とも怪我はないようだ。



「まさかまた地震が来るとは思わなかったな」

「ああ。焦ったぜ」



泉と巣山が阿部たちに追い付くと、全員無事だったことに花井はホッとしたように肩を撫で下ろした。
しかし阿部は相変わらず難しい顔をしたままだ。



「急ぐぞ」



そう言い放つと直ぐさま踵を返して先に行く阿部に、三人は首を傾げたが、すぐに阿部の後に続いた。

バシャバシャと水しぶきを上げて歩いていると、雨風の音に混じって何がが軋む音が花井の耳に入って来た。
不気味なその音の位置を探すように顔を上げて横を見れば、先程花井達が入っていた病院とL字型で繋がった病棟が目に入った。

激しい雨が目に入りこんでよく見えないが、その病棟は壁中にヒビが入ってしまっているようだ。


ピシッと、ラップ音のような大きな音が響いた。



「走れ!!!」



花井は叫んだ。

その声に驚いて振り返る巣山たちに、立て続けに花井は走りながら叫ぶ。



「病院が崩れる!!急いで出るんだ!!」



病院の敷地まであと数メートル。
花井たちの背後ではピシピシと壁中に亀裂が走る音が雨音を遮るように響き始めた。

既に太腿辺りまで溢れた雨に足を取られながら、花井達は走った。


一際大きなヒビが病院の支柱にまで達した瞬間、それまでたくさんの命を救ってきた建物は、泉達を追うようにゆっくりと傾ぎ始めた。






















内陸に位置する埼玉では、普段生活する中で海を目にすることなどほとんどないに近い。
台風の激しさを伝えるためにアナウンサーが無謀にも荒れる海辺を背に実況中継をしているのをテレビで見たのは数回ほど。

けれどそれもあくまでテレビの中のこと。

今まで荒れ狂った海を実際に見たことなどない。

自分にとって海は海水浴で行く時のあの眩しいばかりに輝く青く広い姿でしかない。

今目の前にあるものは、自分が知っている海なんかじゃない。





櫻井雅人は胸辺りまで迫って来た水から逃げるように近くにあった机に飛び乗った。
すでに部屋は半分程沈んでしまっている。



地震が起こった時逃げ出しておけば良かった。



後悔先に立たず、という言葉をこれほどまでに実感するとは思わなかった。










2月29日の夕方前に雅人は目を覚ました。
大学に通うために一人暮らしを始めて2年が経つが、その間親の監視がないせいか自堕落な生活は簡単に雅人の生活を昼夜逆転させた。
大学の授業は出席を友人に頼み、雅人は一人暮らしの資金を稼ぐためということでバイトに明け暮れていた。
最も、稼いだお金は全て遊びや洋服に消えていったが。

その日も夜からのバイトに備えて5時に目を覚ました。
そしてバイトの準備をしていた時、あの地震が起きたのだ。


偶然にも雅人の部屋にそれほど被害はなく、備え付けていた本棚や箪笥などが窓を塞ぐように倒れてしまったくらいだ。
それも窓から離れていた雅人にとっては幸運なことだった。



「結構酷かったな…。バイトあんのか…?」



今まで体験したこともないほどの地震に死ぬかと思った雅人は冷や汗を拭って携帯電話を取り出した。
バイト先に電話をかけてみるが、やはりというか、繋がることはなかった。

外からはサイレンの音も響き始めている。

恐らくバイトなんてあるわけないだろうと考えた雅人は、少し埃を被った布団の上に座り込んだ。



それから数時間、色んな所に電話をかけてみるが、やはりどこも通じない。
外からはサイレンの音が始終鳴り響いている。
道路に面した部屋なため、その音はよく響き、雅人は少しいらついていた。



「…うっせーな。いい加減鳴り止めっつーの」



雅人が舌打ちした瞬間、また地面が微かに揺れだした。
それまで数回あった余震とは少し違うようだと感じた雅人の予想は当たり、次第に揺れが大きくなっていく。
その揺れは最初に起こった地震と同じくらいか、それ以上のものだった。



数分にも渡って揺れ続けた大地も、次第に落ち着きを取り戻した。



「……ビビったぁ…。どうなってんだ?」



布団の上で、二度目の地震を乗り越えた雅人は小さく呟いた。
先ほどまで鳴り響いていたサイレンの音は、もう聞こえない。
不気味な程の沈黙が耳につき、雅人は逃げ出そうと腰を浮かべた。



「で、でも、外にいるよりは…中にいた方が安全…だよな…?」



ドアノブに手をかけた途端、そう思い直し、雅人は部屋へ引き返した。



「2回も地震に耐えたんだし、この部屋にいれば大丈夫だろ」



口に出して言えば、最もな気がして雅人は部屋に留まることに決めた。
しかも、部屋が浸水し始めた当初もそのように理由を付けて外へ出ようとしなかった。

そして、気付いた時には既に部屋は半分が沈没してしまっていた。

流石にまずいと雅人は感じたが、時は既に遅く、唯一の出口である扉は水圧によって雅人一人の力では開くことが出来なくなっていた。

雅人は部屋に閉じ込められたのだ。



「そ、そうだ!窓から…!」



雅人は窓の存在を思い出し、部屋を引き返した。
しかし、窓は本棚や箪笥によって塞がれており、とても雅人が通れるような隙間はない。動かそうとしてみても、ピッタリ窓枠にはまってしまったのか、それとも二度目の地震で窓枠が歪んだのか、ぴくりとも動かない。


それから数時間。
住み慣れた家に閉じ込められた雅人は、机の上で小さく体を丸めた。



「誰か…誰か助けて…誰か…」



ブツブツと呟く声は、誰にも聞こえない。
うるさいと感じたサイレンの音が、今では恋しい。



「助けて…助けて…助けて…」



無音の世界に取り残された雅人は、半狂乱になり始めていた。





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