不透明な僕らは、

□第5章
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「……誰…か…」



ガタガタと鳴り続ける割れた窓ガラスからは、冷たい風が容赦なく吹き込んでくる。
渇いて痛む喉から出した声は、風の音に消されて自分の耳にも届かない。

視界に入る自分の右腕は、冷たい床の上に投げ出されたままピクリとも動かない。まるで自分のものではないみたいだ。
頬にかかる髪の毛が風に巻き上げられ、霞んだ視界に入って目障りだが、今はそんなことを考えている余裕なんてない。











小さい頃から外に出歩いたことなどなかった。
生れつき体が弱くて、知っている世界はこの病院の中だけ。
関わった人は両親と、生まれたばかりの小さな弟。そして先生と看護婦さんだけ。

学校にも行けず、ただ独りこの病室で過ごす一日は味気なく、生きているという実感など持てなかった。




どうして自分はここにいるんだろう。


この世界に生まれた意味は何なんだろう。


自分がいなければ、お父さんもお母さんも、あんなに悲しい顔をしないのに。


自分さえいなければ、弟と親子三人で夢で見たような幸せな家族になれたのに。


自分は疫病神なんだ。
だから、早く消えてなくなってしまえばいいのに。




ずっと、そう思っていたはずなのに。







「…死に…た……く、な…い」



震える唇が紡ぐ言葉は生きたいという願望。

ずっと心の奥底で隠していた、本当の気持ち。



カタッカタッと、強風に煽られて何か四角いものが部屋の隅から転がって来た。
投げ出された腕に当たって止まったそれは、両親が誕生日にくれた綺麗な貝殻で飾り付けられた写真立てだ。
割れたガラスの奥には、誕生日に撮った家族4人で写った写真。
その中の家族は自分を含めてみんな幸せそうにみんな笑っている。

あの日、あたしは初めて弟を抱いた。
小さな弟は不思議そうにあたしの顔を見て、そしてすぐにふにゃって笑った。
その笑顔がとっても可愛くて、握った掌がとってもちっちゃくて、すごく、温かかった。
『お姉ちゃんがわかるのね』って、お母さんもお父さんも楽しそうに笑ってた。



「…おと…さ………かあ…さ…」



自分の声が聞こえない。もしかしたら風のせいじゃなく、自分の喉がダメになってしまったのかもしれない。

ふと、風と風の間にコツッと、扉の向こうで足音が聞こえた。



誰かいる。



生きている人がいる。
もしかしたら、先生かもしれない。



「…たす、け…て…」



力が入らない体で、必死で叫ぶ。
ピクッと、右手の指先が動いたのが見えた。



自分の体はまだ動くのだ。

痛みも感じない体は、どこにどう力を入れていいのかわからない。けど、とにかく外にいる誰かに知らせなきゃ。



あたしは生きてるって。


あたしはここにいるんだって。



コツコツと響く音は、一人の足音だけじゃない。
少なくとも、3人以上はいるみたいだ。それなら、その中の誰かが気付いてくれるはず。

ピクリと動いた指の動きは手の平へと広がり、腕へと伸びていく。
腕を扉に伸ばせば、その距離の遠さに改めて愕然とする。



「た…けて……誰……か」



腕は届かなくても、きっと声なら届くはず。


あたしはまだ死にたくない。

まだ生きていたい。


お母さんに


お父さんに


弟に、逢いたい。




逢いたいよ…






助けて


誰か


あたしはここにいるの


まだ、生きてるの




お願い




見つけて






死にたくないよ














生きたいよ

















割れた窓から霧雨のような雨が降り注ぎ始めた。

次第に大きく、激しくなっていくその雨は力無く投げ出された細く、白い腕を濡らしていく。

まるで、天が泣いているような雨に濡れながら、久山雪子は9年の短すぎる生涯を閉じた。















第5章−キリサクハ、ノヤイバ−
後編
















「今、何か聞こえなかったか?」



薄ぐらい廊下を慎重に進んでいると、突然阿部が立ち止まりある病室に顔を向けた。
どうやらそれは個室らしく、ネームプレートは一つしかない。
埃を被ったネームプレートの文字は読みにくいが、『久山雪子』と書かれているようだ。



「阿部。最初に決めただろ?」

「…わかってるよ。多分、気のせいだ」



病室から辛そうに目を反らしながら花井が呟くと、阿部はチラリと病室に目を向けたあと、すぐにまた歩き出した。



「あれがナースステーションじゃねぇか?」



気まずい沈黙を打ち破るように、巣山が廊下の先に指を向けた。
少し歩いた場所に、ホール状の廊下にカウンターで区切られたナースステーションがあった。
花井たちは瓦礫の上を歩きながらナースステーションへ急ぐ。

カルテが散乱するナースステーションは備え付けてある注射器なども割れて床は悲惨な状態だ。
その残骸を踏み越えながら、奥にある小さな部屋に入る。



「包帯があったぞ」

「消毒液もある」



小さな部屋は備品倉庫だったようで、予想通り包帯と消毒液が大量に保管されていた。
ガラス棚にあるビンを手に取った花井はラベルを睨みながら首を傾げた。



「これは…アスピリン…?聞いたことあっけど、なんだっけ?」

「アスピリン…。痛み止めかなんかじゃなかったか?」



阿部が思い出すように眉を寄せながら答えると、一応持ってっとくか、と花井はビンをスポーツバッグの中に入れた。



「なんか、ここだけで充分揃ったんじゃないか?」



自分と巣山のバッグに詰め込まれた包帯や消毒液の山を見て、泉はホッとしたように笑った。



「そうだな…。他になんかいるものとかあるか?」



泉の言葉に花井も頷き、阿部と巣山に意見を求めた。



「そうだな…。…松葉杖…とかは?」

「松葉杖?」



巣山の呟くような言葉に花井は首を傾げる。



「ほら。浜田さんが動けるようになった時の為にさ。ないと移動がしんどいだろ?」

「なるほどな。…でも、松葉杖ってどこにあんだ?」



巣山の提案に納得したように頷く花井だったが、ふと疑問に思い、首を傾げた。



「うーん…。見当もつかねぇなぁ…」



困ったように眉を寄せた花井は諦めるように肩を竦めた。



「ここにずっといるわけにもいかねぇし、諦めるしかないだろ」



ナースステーションと向かい合わせにある大きめの窓から見える外の景色を見ながら阿部は花井に言った。



どこかの看板が突風に吹かれて飛ばされていくのを見て、花井達は阿部の言葉に従うことにした。





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