不透明な僕らは、

□第4章
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ツンと鼻を指す臭いが辺りに充満している。

自分の流す血の臭いではない、何か気分が悪くなるような臭い。



宮川香苗は血で濡れた左腕を庇いながら、瓦礫の上をふらふらと歩いていた。

目的地があるわけではない。
ただ、あの場所にいたくなかっただけだ。






香苗の家は所謂集合住宅で、隣近所には顔も知らないご近所さんが多く住んでいる。
近くには広くはないが、木々がたくさん植えられた公園もあり、夕方には小さな子供や母親、犬の散歩をする人たちで賑わっている。

高校生の香苗は、部活に入ることもなく友達とおしゃべりをして、帰宅部としては少し遅い帰宅をしていた。

のどかに賑わう公園の脇を擦り抜けて少し奥まった場所にある自分の家に向かって歩いている時、あの地震が起こった。



次に目を覚ました時、既に空は暗くなっていた。

子供の泣き声で目を覚ました香苗は、暗くてよく見えない視界で子供を捜した。
立ち上がろうと両手を地面に着いた時、左腕に激痛が走り、そのまま顔から地面に倒れ込んでしまった。

右手で左腕を触れば、どろりと生暖かい液体が左腕を濡らしているのに気が付いた。
それと共に鼻を突く、鉄の臭い。


それが自分の血であると気付いた時、香苗は慌てた。



「ち…!血が!!」



どうすればいいのかわからず、ただ流れ続ける血に香苗は青ざめた。



「びょ、病院に…」



幸い近くには総合病院がある。そこに行けばなんとかなる。
そう考えつき、香苗は左腕から視線を剥がし顔を上げた。

その瞬間、絶望が香苗を襲った。


視界の先に広がるのは、倒壊した家。
いつもは高層ビルやマンションなんかで塞がれる空には、何の障害物もなかった。



「嘘でしょ…」



見渡す限り荒野が広がっていて、その中には少なくとも香苗が知るあの総合病院の姿はない。

ふらりと立ち上がり、数歩踏み出した香苗は、何かに躓いて転んでしまった。

妙に柔らかくて重たいソレを見た香苗は、動く右手で口元を塞いだ。



それは、人間の死体だった。



打ち所が悪かったのか、頭から大量に出血したその死体は、力無く横たわっていて、その体は公園に生えていたのであろう木の下敷きになっていた。

香苗とは、数メートルも離れていない。
しかし、その数メートルが香苗と、この名も知らぬ人との生死を分けた。



「だ…誰か…!誰かいないの!?」



いつの間にか、子供の泣き声が止んでいた。
辺りには不気味な静寂が落ちている。

恐怖に身を竦めた香苗は叫んで辺りを走り回った。
しかし、そこには瓦礫に押し潰された人や、全身血だらけで倒れる小さな子供、母親の胸に抱かれて圧迫死してしまった赤ん坊しかいない。

古典の教科書で見たような地獄絵図が、現実になって香苗の前に広がっていた。




それから香苗は、その場から逃げるようにただ足が動くままに歩いた。

どこまで行っても誰もいない。

瓦礫が崩れる音がして目をやれば、どこかの小さなテナントビルが崩れるところだった。



気がつけば、香苗は学校への通学路を歩いていた。
普段は人で賑わっている商店街も、今は誰ひとり起き上がっている者はいない。

八百屋だった建物の店先に、潰れたトマトやキャベツが転がっている。


その商店街を抜けて、十字路の角にあるガソリンスタンドを右に曲がれば学校が見えてくるはずだ。

まだ通って2年しか経っていない筈なのに、その道順はしっかり香苗の体に染み付いている。


崩れたガソリンスタンドを右に曲がる。


すると、見慣れた建物が眼前にあった。



「良かった…。残ってた…」



香苗が通う高校は、確かにその形を保っていた。
香苗はホッとして、足を早めようとしたが、ふいに鼻についた刺激臭に眉をしかめた。


毎朝、ここを通る時に嗅ぐけれど、どうしても慣れないその臭い。
友達とも毎日臭い臭いと文句を言いながら通っていた。



「…ガソリン…?」



その臭いの元を思い出した香苗は、右を見た。
その瞬間、香苗の視界は痛い程の光に包まれた。













第4章―ツツミコム、ゼツボウノ
後編








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