頂文。
□約束された別れが来るまで
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「花が枯れてる。」
そう言って浜田はアパートの前で足を止める。
地面を見つめるその後ろ姿はいつもより小さく見えた。
「……変わらないものってないんだな。」
浜田は悲しそうに呟いて、足で地面を擦るように、小さな歩幅でまた歩き出した。
浜田が立ち止まっていた場所のそばには、花があった。
花びらが全て抜け落ちて、茶色くなった茎だけの花が地面に辛うじて根を生やしている。
すっかり干からびてしまって、強い風が吹けば簡単にさらわれてしまいそうだ。
俺は、この花はちゃんと子孫を残せたのかな。と頭の端で考えた。
けれどその答えを自分の中で出す前に歩き出した。
アパートの部屋の鍵を開ける浜田の背中を追う。
今日の浜田は気落ちしている。
さっき理由を尋ねたら、「友達が彼女と別れたから」と言われた。
俺は薄情なんだろうか。
他人の悲しみにこうまで肩入れしなくても良さそうなものなのに、と思う。
「すげー仲いいカップルだったんだよ。二人とも中一の時のクラスメイトでさ。丸三年は付き合ってたんだぜ?」
それはもう聞いた。と言いそうになったが飲み込んだ。
「俺、あの二人は結婚すると思ってたのになぁ。」
ドサッとバッグをその辺に投げ出した後、浜田はどすんと床に座った。
ため息を吐いてうなだれている。
俺も適当に腰を下ろす。
「……なんで気持ちに絶対ってないんだろうなぁ。」
浜田は少し顔を上げて遠くを見つめる。
独り言なのか俺に答えを求めているのかは分からなかった。
それでも口を開いたのは、多分落ち込んでばかりいる浜田に我慢が出来なかったからだろう。
「気持ちに絶対があったとしても、人間がその絶対を壊すんだよ。」
俺がそう言うと、浜田は、え?と俺の顔を見た。
「たとえば、その別れた彼女が浜田の友達のこと絶対好きで、嫌いになることが絶対ないとするだろ?そしたらどうなると思う?」
「……どうなんの?」
「浜田の友達は散々浮気するよ。」
「しねーよ!」
浜田は弾かれたように大きな声で否定した。
「するよ。何したって嫌われないなら好き勝手するに決まってる。」
浜田は何かを言い返そうと口を開いたが、迷った挙げ句口を閉じた。
また下を向く。
「で、それに堪えられなくなった彼女は逃げてくよ。」
いくら好きだからって耐えられないことはある。
甘えは誰の心にも住んでいる。
だからこそ努力が必要だ。
「絶対があると安心しきって、結局その絶対は絶対じゃなくなるんだ。」
浜田は下を向いたまま顔を上げない。
怒らせただろうか、と思っていると、じゃぁ、とすがるような声が聞こえた。
「絶対が無理なら永遠は?」
声の通りすがるような目で俺を見る。
俺は神様じゃないんだけど、と少し思う。
「人はいつか死ぬんだから永遠はないだろ。」
俺がそう言うと、浜田は急にまた大きな声を出した。
「そうだよ!人は死ぬんだ。これは絶対じゃねぇか。」
「……」
「好きに絶対はないくせに、どう頑張っても別れだけは絶対なんて不公平過ぎる。」
浜田は悲痛な様子で床を見た。
「死ぬ時は二人一緒に死ねることなんてめったにないだろうし、死んじゃったら多分別々なんだから、せめて、生きてる間だけは絶対変わらず一緒にいられるって保証があったっていいのに。」
どんどん小さくなって行く声に、俺はどう返事をするべきか迷った。
保証なんて出来るはずがない。
「俺だって別にさ、永遠の愛とか本気で信じてるわけじゃねぇんだ。…あったらいいだろうなとは思うけど。」
「……」
「ただ、なんて言うか……二人が交わした約束が、こうも簡単になかったことになるのかと思うとやり切れねぇんだ。」
苦い顔で浜田は言った。
その表情はまるで、奥歯で噛み潰した苦虫を飲み下そうにも喉がそれを拒否して、口内に広がり続ける苦汁にひたすら耐えているようだった。
それを聞いて、合点がいった。
浜田は友達が別れたことというよりも、その瞬間確かだったものが簡単になかったことになってしまったことに打ちのめされているのだ。
「それ言ったら離婚率とかここ数年上がりっぱなしじゃん。」
「分かってるよ!へこんでんだから厳しい現実は小出しにしてくれよ。」
俺を非難した後、浜田はまた下を向く。
ひたすら落ち込むばかりの奴を相手に、俺は結構マトモな態度で接していると思うのに、まだ優しくしろって言うのか、とカチンと来る。
でもここで言い返すべきではないだろうと不満を飲み込んで浜田を睨むだけに留める。
そんな俺の視線にも気付かない浜田は、
「……子供の名前とかもさ、本気か分かんねーけど考えたりしてたんだぜ?」
か細く揺れる声でそう言った。
「子供の名前はいくらなんでも気ぃ早すぎだろ。」
俺がそう言っても、浜田の頭はどんどん下がって行く。後頭部が見えるばかりでどんな顔をしているのかも分からなくなった。
「……まぁ、そういう意味で言えば、俺たちは結婚なんて出来ねぇんだから、将来の約束とかが出来なくて良かったと俺は思ってるよ。」
後頭部に向かって言う。
果たされない約束は俺だって嫌いだ。
それ以上に、約束した未来があることに甘えて、今をおろそかにするのはもっと嫌いだ。
「なん、で…!」
浜田は勢いよく顔を上げた。信じられないというように見開いた目で俺を見ている。
「ちょ、俺へこんでんだからさらにへこませるようなこと言うなよ!」
「なにが。」
「なにがって…!」
浜田は苦しそうな表情をしてまた下を向こうとする。
俺はその肩を強く押した。
「おい。お前俺のことどう思ってんの。」
「は?」
急な質問に浜田は目を丸くした。
「いつも聞かなくても言ってんだろうが。言え。」
俺がきつく睨むように見ると、浜田は意味が分からないという顔をしながらも、
「…す、好き。だけど…?」
と答えた。
「絶対とか永遠とかがないって分かったんだったら、今の1分1秒が貴重だってことも分かっただろ。」
「え、うん、まぁ。」
曖昧な返事だったが、それを聞いて掴んでいた肩を離す。
浜田は今の会話の意味を知ろうと俺をじっと見ている。
「…なら、なんで下ばっか見てんだ。」
浜田は数秒間呆けた後、じわじわと顔を赤くした。
「ちょっ、な、泉恥ずかしー!」
俺の言った意味を理解したのか、バカみたいに大声を上げる。
浜田の大げさなリアクションに、言った言葉を即座に後悔した。
恥ずかしくて顔をしかめていると、浜田がまだ少し赤い顔で俺の顔をじぃっと見つめて来た。
「俺、泉の目好きだな。」
「…あっそ。」
気まずくて目を逸らすと、浜田があー!と非難の声を浴びせて来る。
「俺に見てろって言ったんだから泉も目逸らすなよ。」
チクショウ前言撤回したい。
そう思いながら、それでもあの時は、と思う。
落ち込んでるならいくらでも話を聞く。
悲しいならいくらでもそばにいる。
俺に手を伸ばしてくれればなんだってしてやるのに。
そばにいるのに、どうすることも出来ない悲しみに暮れて俺を見ない浜田が、こっちを見ればいいと思ったんだ。
「……いつか、いつか別れる時が来るとしてもさ、」
「……」
「俺はきっと、泉のこの目を思い出すんだろうな。」
穏やかになった浜田の声を聞いて、口には決して出さないけれど、心の中で願った。
出来るなら、二人に訪れるのが遠い未来の平等な別れであればいい。
声にはしない願い事が聞こえたかのように、浜田はようやく、その日初めての笑顔を見せた。
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