拍手ありがとうございます。ささやかなお礼に、坂本さんとおりょうさんのお話をご用意いたしました。














『チルチルタツマ』





眩しい光に包まれて、おりょうが味噌汁を作っている。真っ白な割烹着を身につけて、片手にはお玉。横顔には、なんともいえない穏やかな微笑みが浮かんでいる。


なんと理想的な光景だろう。こんなに可愛いお嫁さんがいれば他にはもう何もいらない。方々の女の尻を追いかける日々は卒業だ。溜め込んだキャバクラの名刺は全部始末してしまおう。


「辰馬さん。はい、どうぞ」
湯気のたつ汁椀を手におりょうが振り向いた。キラキラとダイヤモンドダストのような輝きをまとっている。まるで夢のように美しい。いやいや、夢では困る。これは現実だ。


その証拠に、ほれ。こうして味噌汁の味を堪能できるではないか。と、汁椀を受け取ろうとしてみたもののそれが出来ない。
待て、そんなはずはない。必死に腕を伸ばそうとするが、焦れば焦るほど体は動かない。
嘲笑うかのようにおりょうの映像が目の前から消えた。そして、現実世界に放り出された。


……畜生、やっぱり夢であったか。そう自覚した場所は布団の中。窓から射し込む朝の光が意地悪く笑っていた。
眩しさから逃げ、掛け布団の中に顔をうずめる。そりゃそうだ、おりょうが飯を作ってくれるわけがない。いくら口説こうが、落ちない女。未だに店以外の場所で会うことすらままならないのだから。
だけど頼みます、今日くらいは。せっかく惚れた女が夢の中に登場してくれたのだ、もう少しだけ戯れさせてください。


うとうと二度寝の入り口に立つ。いつの間にやら、スナックすまいるで酒を飲む自分がいた。
隣におりょうが座っている。いつにも増して、襟足から鎖骨へと至る首もとが色っぽい。
「好きなの、アンタのことが……」
うつ向いて打ち明けるおりょうの目元はほんのり染まっている。


「おりょうちゃんよ。わしは商いのことしか頭にない。こんな男に惚れたち幸せにゃあなれんぜよ」
飛び上がるほど嬉しいくせに、口をついて出たのはクールな台詞であった。
「それでもいいの。帰りを待てるなら、それだけで幸せだから……」
はにかんだおりょうがおずおずと体を預けてきた。よせやい、こんな人前で……と大人の対応を見せつつも、その身を受けとめる。


「ほんに、わしでええがか?」
「アンタでなきゃ駄目なの」
いじらしい訴えがいとおしくて、細い体を強く抱いてやる。
ついに。ついにおりょうの心を射止めることができた。夢のような心地好さだ。いやいや、夢では困る。これは現実だ、現実なのだ。


幸せを噛み締めているところに、おりょうが目を閉じて口づけを求めてきた。潤った唇に誘われ、顔を寄せる。夢のような展開。いや、だから夢ではない、夢ではないのだ……。
と、精一杯の抵抗をしてみたものの、はっと気付けばやはり接吻の相手は枕。先ほどよりも眩しさを増した朝日がゲラゲラと笑っていた。


くそう、またしても夢に踊らされてしまった。現実的な設定ばかりを用意して騙しやがって。
心底恨めしく思い、再度目をつむる。こうなったら、いくらでも踊ってやれ。どうせまともに相手にされていないだ、夢の中くらいささやかな幸せを味わわさせてください。


ゴロンと寝返りをうち、窓に背を向ける。すると、手が何かに触れた。ぽふぽふと探ってみると、柔らかくて温かい。そして何だか、いい匂いがする。
はて、これはなんだろう?しょぼしょぼと薄目を開き、掛け布団を捲り上げた。
そこに居たのは、すやすやと眠るショートヘアの女。うひゃあと驚愕した。あどけない寝姿が可愛らしいかったから、というのは勿論のこと。眠る美女がおりょうであったからだ。


なぜ、高嶺の花であるおりょうがこんなところにいるのか。一気に眠気が吹き飛び覚醒した。
そうだった。何を寝惚けているのだろう。想いが通じ、おりょうとはすでに男女の仲。ここは江戸に借りた二人の部屋であり、快臨丸の中の寝床ではない。道理で朝の光を感じるはずだ。


ぐったりと脱力し、寝起きの心拍数を整える。昔の癖が出て、過去と現在を混同してしまった。長く懸想し続けたせいで染み付いた、悲しき習性だ。


わざわざ夢の中に幸せを求めずとも、こんなに満たされた現実があるのに。しみじみとおりょうの寝顔を再確認する。
今度ばかりは絶対に夢ではないと確信できる。無防備な寝顔が愛くるしい。小さく呼吸する口元も、寝間着に包まれたふわっと柔らかそうな体の線も。どれをとっても、夢の中の映像とは比べ物にならないほどに眩しい光景だった。













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