短編小説

□最期のねがい
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彼は、終わりを恐れていなかった。




『あと少し、少しだけ』




そう、願っていただけで。





――――――





「わあ綺麗!ありがとう」




嬉しそうに俺から花束を受け取る精市は、痩せた頬を精一杯に上げてそう言った。


元々色白な彼の細腕が、病院指定のパジャマの下で、余計に白く儚げに見える。




「どうだ幸村、気分は」
「いつもよりいいかな。ありがと真田」




にっこりとベッドの上で微笑む精市を囲んで、俺や弦一郎、他のレギュラー陣がほっとした様に笑う。


精市の細くなった手首を、ちらりと見やった柳生を見て、精市は笑った。




「俺やつれて綺麗になるタイプだから心配ないよ」
「……そうですね」




控え目に言う柳生の声に不安げな色を感じたのか、精市はおどけて明るくそう言った。


精市が痩せたのは目に見えてわかった。健康状態が思わしくないのも明白だった。


彼の病室に向かう前に、俺たちは精市の担当医からこう告げられた。




『幸村くんは、退院出来たとしてももうテニスは出来ません。本人にもそう伝えてあります』




「なんだよみんな!そんな辛気くさい顔して」




そう言いながら精市は、誰かが見舞いに持ってきたのであろう箱に入ったケーキに手を伸ばした。




「丸井、赤也。ケーキ食べない?」
「…あ、食うっす!」




丸井と赤也が多少ぎこちなく笑いながらも、精市が震える手でケーキを切り分けるのを眺めている。


彼の腕からは、先日までついていた点滴のチューブが外されていた。


それが必要ないくらいに回復したのか、それともその逆なのか―――明白だった。




「……あ、今日の練習はどうだったの?」




その質問は俺に向けられているものだとすぐに気付き、俺は鞄から練習記録を記したノートを取り出す。




「丸井と赤也が体力作りのメニューを怠っていた」
「またか−」




それから事細かに、部員たちの今日の様子を報告していく。


俺が話終えた後、怒るでも呆れるでもなく、精市はやけに楽しそうに笑った。彼の乾いた唇が、精一杯の笑顔の形に歪む。




「丸井、赤也、毎回そうじゃないか。明日からは全く問題ないっていう柳の報告を聞かせてくれよ」




彼に明日は来るのだろうか、と、一瞬でもそう思ってしまった俺自身を呪う。


担当医は、こうも言っていた。




『いつ“その時”が来てもおかしくないでしょう。この事は彼のご両親のご意向で、本人には伏せておいて下さい』




「―――みんな、毎日ほんとにありがとうね」




小さく、ほとんど呟く様に彼はそう言ったが、聞き逃す筈はなかった。


誰もなにも言わず、微笑んでいる精市以外、誰も笑ってはいなかった。




「すごく嬉しいんだよ、みんなに会えるの。会えない日が無いのが、すごく嬉しい」




精市は、俯いていた顔を上げて、俺たちの顔をぐるりと見回す。


まるで、忘れない為に目に焼き付けるかのように。


彼の記憶に残るのが、俺たちのこんな辛気くさい顔なのはあんまりだと、俺はゆっくりと微笑んだ。


俺の隣で、弦一郎も静かに微笑むのがわかった。




「練習記録を部長に報告するのは当然だろう、なあ蓮二」
「勿論だ」
「……そっか」




―――今思えば、この時だ。


精市の表情が、泣きそうに歪んだのは。




「―――明日も来てくれる?」
「無論だ、幸村」
「明後日も?」
「勿論じゃよ」




そっか、と、精市は安心した様に微笑んで、膝の上に置いた自分の両拳に視線を落とす。


握り締められた彼のそれは、小刻みに震え、青白く細い血管を浮かせていた。




「―――あのね、」




精市は言った。




「全然、怖くないんだ」




夕暮れが迫った空に、鳥の群れが飛び交う。




「でも、みんなと別れるのが淋しい」




精市は弱々しく微笑み、再び俺たちの顔を見回す。


その表情は弱々しくも―――誰よりも強く真っ直ぐだった。




「だから―――あと少し、少しだけ、」






みんなと一緒にいたいな






――――――





『明日も来てくれる?』
『明後日も?』




いつもの様に花束を、いつもの様に練習記録を。




いつかの様に。




『常勝、立海!』

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