短編小説
□最期のねがい
1ページ/1ページ
彼は、終わりを恐れていなかった。
『あと少し、少しだけ』
そう、願っていただけで。
――――――
「わあ綺麗!ありがとう」
嬉しそうに俺から花束を受け取る精市は、痩せた頬を精一杯に上げてそう言った。
元々色白な彼の細腕が、病院指定のパジャマの下で、余計に白く儚げに見える。
「どうだ幸村、気分は」
「いつもよりいいかな。ありがと真田」
にっこりとベッドの上で微笑む精市を囲んで、俺や弦一郎、他のレギュラー陣がほっとした様に笑う。
精市の細くなった手首を、ちらりと見やった柳生を見て、精市は笑った。
「俺やつれて綺麗になるタイプだから心配ないよ」
「……そうですね」
控え目に言う柳生の声に不安げな色を感じたのか、精市はおどけて明るくそう言った。
精市が痩せたのは目に見えてわかった。健康状態が思わしくないのも明白だった。
彼の病室に向かう前に、俺たちは精市の担当医からこう告げられた。
『幸村くんは、退院出来たとしてももうテニスは出来ません。本人にもそう伝えてあります』
「なんだよみんな!そんな辛気くさい顔して」
そう言いながら精市は、誰かが見舞いに持ってきたのであろう箱に入ったケーキに手を伸ばした。
「丸井、赤也。ケーキ食べない?」
「…あ、食うっす!」
丸井と赤也が多少ぎこちなく笑いながらも、精市が震える手でケーキを切り分けるのを眺めている。
彼の腕からは、先日までついていた点滴のチューブが外されていた。
それが必要ないくらいに回復したのか、それともその逆なのか―――明白だった。
「……あ、今日の練習はどうだったの?」
その質問は俺に向けられているものだとすぐに気付き、俺は鞄から練習記録を記したノートを取り出す。
「丸井と赤也が体力作りのメニューを怠っていた」
「またか−」
それから事細かに、部員たちの今日の様子を報告していく。
俺が話終えた後、怒るでも呆れるでもなく、精市はやけに楽しそうに笑った。彼の乾いた唇が、精一杯の笑顔の形に歪む。
「丸井、赤也、毎回そうじゃないか。明日からは全く問題ないっていう柳の報告を聞かせてくれよ」
彼に明日は来るのだろうか、と、一瞬でもそう思ってしまった俺自身を呪う。
担当医は、こうも言っていた。
『いつ“その時”が来てもおかしくないでしょう。この事は彼のご両親のご意向で、本人には伏せておいて下さい』
「―――みんな、毎日ほんとにありがとうね」
小さく、ほとんど呟く様に彼はそう言ったが、聞き逃す筈はなかった。
誰もなにも言わず、微笑んでいる精市以外、誰も笑ってはいなかった。
「すごく嬉しいんだよ、みんなに会えるの。会えない日が無いのが、すごく嬉しい」
精市は、俯いていた顔を上げて、俺たちの顔をぐるりと見回す。
まるで、忘れない為に目に焼き付けるかのように。
彼の記憶に残るのが、俺たちのこんな辛気くさい顔なのはあんまりだと、俺はゆっくりと微笑んだ。
俺の隣で、弦一郎も静かに微笑むのがわかった。
「練習記録を部長に報告するのは当然だろう、なあ蓮二」
「勿論だ」
「……そっか」
―――今思えば、この時だ。
精市の表情が、泣きそうに歪んだのは。
「―――明日も来てくれる?」
「無論だ、幸村」
「明後日も?」
「勿論じゃよ」
そっか、と、精市は安心した様に微笑んで、膝の上に置いた自分の両拳に視線を落とす。
握り締められた彼のそれは、小刻みに震え、青白く細い血管を浮かせていた。
「―――あのね、」
精市は言った。
「全然、怖くないんだ」
夕暮れが迫った空に、鳥の群れが飛び交う。
「でも、みんなと別れるのが淋しい」
精市は弱々しく微笑み、再び俺たちの顔を見回す。
その表情は弱々しくも―――誰よりも強く真っ直ぐだった。
「だから―――あと少し、少しだけ、」
みんなと一緒にいたいな
――――――
『明日も来てくれる?』
『明後日も?』
いつもの様に花束を、いつもの様に練習記録を。
いつかの様に。
『常勝、立海!』