短編小説

□堕落
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堕ちる所まで堕ちた。
それ以上の幸せなんて無いと思う。



もうこれ以上、堕ちる心配など無い。


そう思えるからこそ、俺は安心して堕落して行ける。







―――――堕落―――――







「―――このままでいいと思うか?」






乱れた彼の銀髪を、上へ手を伸ばして梳きながら俺はそう言った。


俺を蔑む様に見下ろす彼の視線に、いつもながら背筋がぞくりとする。






「……なん、いきなり」
「文字通りだ。こんな非生産的な行為を、何時迄続けるつもりなのかと思ってな」






挑発的な俺の言葉に、彼は僅かに表情を歪ませた。


仁王は、汗ばんだ額に張り付いた前髪を掻き分けながら、気だるそうに身を起こす。






「あんな、お前さんも好きでやってると違うの?」






こんな事してんのも元はお前さんが俺に惚れたからじゃろうが、と、もっともな意見を、彼は述べる。






「付きおうてやってるんは、俺の方じゃなか?」






―――そう、理屈に合わない言い分なのは俺の方。



俺が求めるままに与えてくれたのは彼の方で、見返りを求めずに与えてくれたのも彼で。


でもこんな関係は―――一法的過ぎるこの関係は、






「今迄すまなかった、仁王。もう終わりにしてもいいか」






真っ直ぐに俺を見つめる彼とは対照的に、俺は何も見ていなかった。


最初から抱えていた、この虚無感と罪悪感の正体は、一体何だったのかと。


その答えは、たった今目の前に浮かび上がった気がした。






「―――そ。わかった」






彼は短くそう答えると、散らかした衣服を掻き集める。


俺はまだシーツに包まったまま、彼の出す衣擦れの音を背後に聞いていた。



思えば、随分と堕ちたものだ。


あの時程、この様な非生産的な行為を求めた事は無い。


非生産的だからこそ、俺は何かを生み出そうと、利益を得ようとしていたに違いない。


しかし出来上がるのは、何も生産されないどころか―――むしろマイナスだった。


彼に、見出してしまった。






『……柳』






呼ぶ声も、見つめる瞳も、触れる指先も、全て。


今だけ、この瞬間だけ、これが終わったら、終わり。






「……柳、」






はっとして顔を上げると、そこにはきちんと衣服を纏った仁王が俺を覗き込んでいた。


思わず俺は、手元にあったシーツで口元を覆った。






「俺帰るけど」
「……ああ、わかった」






あ、と仁王は一瞬目を瞠った。


何事かと、俺もつられて彼を見上げた。



次の瞬間、彼の手が俺の目元に伸びてきた。






「終わりにしよう言ったんは柳やろ」
「……………?」
「なんで泣くん」






俺はその時初めて思った。


彼の目が、俺だけを見つめていると。


この一瞬だけではなく、行為に溺れる俺を見る目ではなく―――






「言いたいことあったんに、お前さんの方から終わりにしようなんて言われちゃどうしようもないわなあ」






おどけた様に笑う彼の表情は、今迄に見たことが無い程無邪気で。


俺の手から、握り締めていたシーツを抜き取り、その手で俺の手を自分の口元に運ぶ。






「じゃ最後にいっこだけ言わしてもらおうかのう」






儀式的な口付けを手の甲に受けながら、俺は、彼の毒の様な口説き文句を聞いた。






「もっと堕ちてみんか」






もう堕ちようのないくらい、ずっと底まで。

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