短編小説

□言えなかった事
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この場で一番場違いなのは、誰であろう今日の主役である彼だ。


誰よりも不敵な笑みを浮かべ、とても楽しそうな、満足そうな様子で。


そんな場違いな彼を、俺は随分前からじっと見つめ続けている。


つい先日―――否、昨日迄は、こんな風に彼の目をじっと見つめるなんて、出来なかった。


怖かったから。恐ろしかったから。


彼だけが見る、本当の俺を映す彼の目を見る事が、空恐ろしかったから。


でももう、その心配は無い。


穴の開く程その瞳を見ても、彼の目は俺を映したりしない。





ふと隣を見ると、柳生が俺と同じ様に呆然と彼を見つめていた。


その横顔には、表情というものがまるで無く、ただ曖昧に視線を上げているだけだった。




「……柳生」




そっと声を掛けると、彼ははっとして俺の方を向いた。




「大丈夫か」
「……柳くんこそ」




その顔に、うっすらと笑みが戻る。


それが余計に、哀しげに見えた。




「…突然すぎる」




呟く様に、上から俺たちを見下ろす彼を見上げながらそう言った。




「…はい…」




短く、柳生はそう言った。




「……彼なりの、選択だったのでしょう」
「―――そうだな」




眼鏡をくいと押し上げた後、柳生はハンカチを取り出して目頭を押さえた。


何のために先程眼鏡を上げたのだろうかと、俺はどうでもいい事を考えていた。




「……柳、柳生」




静かな物憂げな声に振り返ると、精市と弦一郎を筆頭にして、他のレギュラー陣がやって来ていた。




「そろそろ、出るぞ」




遠慮がちに精市がそう言うと、柳生は名残惜しそうにもう一度彼を振り返った。




「……おやすみなさい」




柳生は彼にそう囁くと、弦一郎の横に並ぶ。


俺も柳生に習い、もう一度彼を振り返った。




「……蓮二?」
「申し訳無いが、先にロビーで待っていてくれないか。後から行く」
「……わかった」




皆が出て行く足音を背後に聞きながら、俺は彼の元へ歩み寄る。


そっと覗き込むと、安心しきった顔で、いつも俺の傍で眠る見慣れた彼の寝顔があった。



―――もう二度と、目覚めはしないけれど。




「……こんなものか、詐欺師は」




静かな部屋に流れる、物悲しい音楽よりも遥かに小さな声で、俺はそう言った。


今にも目を開けて、得意気ににやりと笑って。




『うまいもんじゃろう?なあ参謀』




そう言って、くれたら。




「……いいのか仁王。―――詐欺師の名が泣くぞ」




何をくだらない事を。


そう思うのに、心のどこかではまだ、彼に対して希望を抱いている。




「今迄で一番の、ペテンに掛けてくれ」




―――頼むから。





『のお柳。お前さん、俺が死んだらどないしよる?』
『……そんな縁起でも無い事を聞くもんじゃ無い』
『“もし”の話じゃよ』
『考えたくもない』
『…そんなに俺ん事好きか』
『……………』




にやりと、口角を吊り上げた意地悪な彼の笑い方。


それが好きで、たまらなかった。


見上げれば、俺の好きな彼の笑顔が、今迄で一番大きく飛び込んできた。




『俺が死んだら、柳は泣きよる?』
『…、だからそんな、』
『い−から答えんしゃい』
『……泣く』
『そっか』




その時の彼の嬉しそうな笑み。
同時に悲しそうな笑み。
それが何を示していたのか。
彼に、何を決意させたのか。


あの時、もう一つだけ。
彼が俺に質問していたなら。




『俺が死んだら、柳はどう思いよる?』
『…お前が死んだらなどと、考えるのも嫌なんだぞ』
『“もし”の話じゃ、なんで嫌なん』




お前がいなくなって寂しいから、悲しいから泣く。


お前がいない世界などに生きなくないから、お前が死んだらなんて、考えたくない。


それも全て。




「お前が好きだからだ」




もしかしたら、俺はそう言えたかもしれない。


俺たちは、幸せになれたかもしれない。


―――これこそが、“もし”の話。


けれど。




「……聞いたか、」




まるで頷く様に、仁王の遺影は蝋燭の明かりに揺れた。


見下ろす眠る仁王に、そっと微笑む。




俺は、お前が好きだ。

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