短編小説

□自己責任
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“嫉妬”という感情を抱くのは、一体何のせいなのか。





―――自己責任―――





毎日の練習の記録を録っているノ−トを、部室に戻そうとした時だった。

窓から見慣れた黒い帽子が見え、中にいるのは彼だけかと、俺はそう認識しながらドアノブに手を掛けた。



「―――あ、」



微かに聞こえたのは、明らかに彼の物ではない声。

単語さえなさない音のみで、彼の物かそうでない物か、はっきりと解るほど、俺は彼の事が。



「ネクタイくらい、ちゃんと締めなよね」



物腰の柔らかい、優しい声色は、まさに我等が部長の物。

目の前の白い扉を透かして中を見れる筈もないが、今精市が何をしているのかが、手に取るように解る。

暫くの間が開いたのち。



「…すまんな、幸村」
「いいよ」



近づいてくる足音を感じて、俺は思わず脇に飛び退いた。

案の定、精市が中にいる弦一郎にさよならを言いながら部室から出てきた。



「わ、柳」



丸く見開いた目で俺を見る精市は、少し驚いた様な声を出し、すぐに綺麗に微笑んだ。



「お疲れ。じゃお先に」
「…ああ」



去っていく彼の背中を中途半端に見送り、俺は部室に入った。



「蓮二、」



しっかりと整えられたネクタイを締め、彼はロッカ−の整頓をしていた。



「部誌書き終わったのか」
「ああ」



短くそう答え、俺は部誌を元の場所に戻し、自分のロッカ−の前に立つ。

彼のロッカ−はL字の位置のあるため、お互いが視界の端に映る。



「…精市がいたのか」
「ああ」



俺の問いに、大して感心も無さそうにそう答えた彼に、図らずも俺は。



「ネクタイを、締め直してもらっていたな」



単刀直入に、そんな事を口走っていた。

訝しげにこちらを振り向いた弦一郎と目が合わない様に、俺は開いたロッカ−の扉の影に隠れた。



「さすがは精市、気配りが、」
「いきなりどうした、蓮二」



彼がこちらを向いているのが空気で解る。俺は唇を噛み締めた。



「…気に入らない」
「蓮二、」
「何故触らせた」



そう、“何故”

決して“はい”や“いいえ”では答えられない、一番迷惑な疑問。

そんな質問を彼にぶつけて、彼が答えに詰まることなど、俺は言われるまでもなく解っている。

単純に、問わずにはいられなかった。



「……………」



やはり黙った彼。

その沈黙は、やましい事があってそれを言えずにいるそれではなく、単に答えが無いだけ。

生真面目な愛しい恋人の困り果てている姿を見て、俺は目を逸らした。



「…何故そんな事を聞く」



不意打ちだった。



「え?」
「誰が俺に触れようと、お前には関係無いだろう」



思わず放心して俯く彼を見つめると、とっさに彼は『しまった』という顔をした。



「あ、いや、蓮二…」
「そうだよな。悪かった」



俺には関係ないな



荷物を肩に放り投げる様に掛け、彼の横をすり抜けて出口へ向かう。

ドアノブを握って引いた瞬間に、頭の横から手が延びてきて、僅かに開いたドアと壁との隙間を乱暴に閉じた。

突然大きな音が響いたものだから、俺は弦一郎とドアの間に挟まれたまま固まった。

耳元に掛かる彼の熱い吐息が、体以上に心を追い詰めてくる。



「…な、に…」



無口な白い扉を見つめたまま、俺はやっとそう言った。

彼は、片方だけだった腕を、両手にして俺を追い詰める。

肘を折り曲げて、さらに距離は狭まり、俺の背中と弦一郎の胸が密着した。



「…すまなかった」
「…弦一郎、」
「傷付けるつもりはなかったんだ」



ゆっくりと後ろから抱きすくめられる。腹と胸の前に回される逞しい両腕に、無意識に手を添える。



「俺は…、お前が好きだ」



囁く様にそう言った、弦一郎の低い声が、直に俺の耳に反芻した。



(ああ、)



首まわりに巻き直された彼の両腕に、口元を埋める。

薄く目を開き、また閉じる。



(―――愛しい)



次第に強くなる彼の抱き締める力に答える様に、



「好きだ、好きだ弦一郎」



”嫉妬“という感情を抱くのは―――



(俺自身の、)



俺自身の、お前を想う気持ちのせい。
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