短編小説

□叶わぬ逢瀬
1ページ/1ページ

なあ蓮二、見えるか。

あの雲の上に広がっている、天の川が。





―――叶わぬ逢瀬―――





高等部に上がって二回目の、



「七月七日、」



幸村が笹を片手に、にこりと綺麗に笑う。それを俺達他の部員がぽかんと眺めていた。



「何の日か知ってるよね」



幸村の問い掛けに、部員が顔を見合わせる。



「七夕。年に一度、織姫と彦星が天の川を渡って逢える日だ」



幸村の柔らかな物腰の影に潜む憂いを僅かに感じ取り、俺は足元に視線を落とした。

さらさらと、幸村が揺らす笹の音が、部室の外で散らつく小雨の音に重なって聞こえる。



「昔よくやったろう、短冊に願い事書いて笹に吊す」



そう言いながら幸村は、俺達に色とりどりの短冊を手渡す。

俺が受け取ったのは、なんの特徴も無い、ただ真っ白な短冊。

後で紐を通せる様に、上部に小さな穴が開いている。



「願い事を、書くのですか」



柳生の訝しげな呟きが耳に入り、同感だという意味を込めて幸村を見る。

その時丁度幸村と目が合い、憂いを帯びた眼差しを向けられた。



「…真田も、ちゃんと書いてね」



その言葉に、はっきりした答えを口に出す事が出来ず、俺は再び短冊に目を落とした。

真っ白な短冊。

俺はこれに、どんな願いを掛けるのだろうか。

そんな事を、ひたすらに自問する。



「部室を出るまでに、全員この笹に願い事を書いた短冊を吊す事」



またにこりと綺麗に笑った幸村の笑みには、やはり憂いが込められていた。


―――いや、彼だけではなく。


今部室にいる七人全員が、同じ憂いを抱えて、“今日”という日を過ごしたんだろう。





一人、また一人と、短冊を吊して部室を出て行く。

外には、相変わらずの小雨が散らついていて、上空には厚い雨雲が垂れ込めている。

あと数時間で“今日”が終わってしまうのに、俺は未だに、真っ白な短冊と向き合っていた。



「…まだ書けんのか」



最後に残ったのは、俺と、仁王。

彼は既に短冊を吊し終え、テニスバッグを肩に掛けながらそう問うてきた。

ベンチに腰掛けた状態で、俺は、傍らに立つ彼を見上げる。



「…願い事など、無い」
「俺もじゃ」



哀しそうに微笑んだ彼の表情に、思わず沈黙してしまう。



「叶わんから、願い事いうんぜよ」
「…叶わん」
「ああ。自分でやって叶うんじゃったら、それは目標じゃろう」
「…うむ」
「こんなんは只の気休めじゃ。どうせ叶わんのじゃけ」



そう言って俺の横を通り過ぎ、出口の扉の取っ手に手を掛けた彼は、こちらを振り向かずに再び口を開いた。



「―――それに今日は、七夕なんかやない」



寂しそうに、そう言い残して、仁王は傘も差さずに出て行った。

扉の閉まる音が聞こえ、部室は静寂に包まれた。

さらさらと小雨の音が、やけに大きく聞こえる。



(…叶わんか、)



一番叶えたい願いは、一番不可能だった。

窓から見る、暗い夜空。

勿論天の川なんて、見えやしない。



(―――なあ、)



なあ蓮二、お前には見えるか。



『今日は何の日か知っているか、弦一郎』



―――今日は、



お前の命日だ、蓮二。



(気休めでも、いい)



お前に、もう一度逢いたい。

好きだと、言いたかった。



『今日は七夕だ、弦一郎』



―――蓮二、お前には見えるか。

あの雲の上に広がっている、天の川が。

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ