短編小説

□伯牙、琴を破る
1ページ/1ページ

帰って来い、氷が融ける前に





―――伯牙、琴を破る―――





「そう言えば蓮二、新しいシュ−ズの受け取りには行ったのか」



ふと、隣で練習着に着替える彼が、同じくする俺を横目で見ながらそう言った。



「いや、まだだ」
「俺の注文した品も今日届いている筈なんだ」
「そうか」
「ついでに引き取ってこようか」



珍しい気遣いに、俺は思わず彼の方を見た。



「いいのか」
「暑さは苦手だろう」



そして彼は、まだ衣服を纏わない裸の俺の肩に手を乗せて。



「練習が終わったら行って来る。帰ったらシュ−ズの慣らしに一試合どうだ」
「勿論」



穏やかに、しかしお互いに受けて立とうと。

コ−トの上では決して見せない、ふ、と綺麗に微笑む彼は、

俺が、親友と言う無難な肩書きに紛れて、他の感情を抱いていようとは。

知る由も無い。





「真田副部長、どこ行くんすか」



練習後、着替えもせずに部室を出ていこうとする彼に、赤也がそう尋ねた。

彼はドアの前で、自分の肩越しにこちらを見た。



「俺と蓮二の、シュ−ズを引き取りに」
「参謀は行かんのか」



仁王の訝しげな声に、俺も弦一郎も、思わず口元を綻ばせる。



「暑いのは苦手らしいからな」
「冷たい物でも用意して待っていてやるよ、弦一郎」



その俺の言葉に彼はまた、ふ、と微笑んで。昼過ぎの高い太陽の下へ。

逞しい背中をこちらに向けて、出て行った。





「柳くんは帰らないのですか」
「ああ、弦一郎と試合の約束を」



着替えを済ませて部室から出て行く仲間を見送り、俺は部室にひとりになった。

窓から見える空は、鮮やかな夕焼け。差し込む橙色の光が、整然と並ぶアルミのロッカ−に反射する。

西日の眩しさに少し眉を寄せつつも、窓の外を見ていると、何故かどうしようもなく落ち着かずに。

部室に備え付けられている冷蔵庫から、氷と麦茶を取り出して、コップに注ぐ。

ぱきぱきと氷にひびが入る音が、静かな部室にやけに響いた。

コップの中で揺れる氷を、じっと見下ろして。



(―――早く、)



弦一郎、もう日が暮れる。
日があるうちに、試合をしよう。



(弦一郎、)



帰って来い、氷が融ける前に





―――星が瞬き始めた頃。



「柳!!」



待ちに待った、ドアが開く音なのに。



「真田が―――」



―――氷は、すっかり融けていた。





熱いアスファルトに投げ出された彼の体の傍らには、

真新しいテニスシュ−ズが、二人分。





―――蓮二、麦茶をご馳走様。



(打ち返せ、)



―――蓮二、



(試合をすると、言っただろう)



誰も居ないコ−トに、打ち返される筈の無いボ−ルが。



―――蓮二、試合をしよう。



音も無く、転がっていった。

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ