短編小説

□堕ちろ
1ページ/1ページ

好きな人に告白したら、お互いに同じ気持ちだとわかり結ばれる。

そんなものは、綺麗事を並べ連ねた世界の話であって。

現実はそうはいかない。





―――堕ちろ―――





例えば、1人の女が1人の男に惚れたとする。

そして女が男の気を引こうと、出始めに色仕掛けをしたとする。

男はまんまと引っかかり、その女に熱を上げる様になったとする。

そして男は女に想いを伝え、2人は結ばれたとする。


―――簡単なものだ。男は女に、女は男に惹かれるという大前提に乗っ取った色仕掛けというものは。

こんな例はどうだろう。

1人の男が1人の男に惚れたとする。

この時点で、大抵の人間は何かがおかしい事に気が付く。

一部の人間は大して気にもせず、この例え話を最後まで聴いてくれるのだろうけれど。

ここは自嘲しながら、この例え話には口を慎むとしよう。





「―――蓮二、」



顔を上げると、滴る汗を拭いもせず俺を覗き込む弦一郎の姿。

真夏、炎天下での練習中に倒れた俺を、木陰のベンチまで運んでくれたらしい。

上を見回せば、他の部員がぐるりと俺を取り囲んでいた。



「柳先輩…、大丈夫っすか?」



赤也が眉を下げて、俺の額に氷の入った袋を当ててくれていた。

さっきからこめかみを伝う冷たい水の正体はこれかと、俺はその気持ち良さに脱力する。



「熱中症でしょうか」
「汗は出ちょるから、そんなに酷くは無さそうじゃの」
「うむ」



水で濡れたこめかみや頬に、生温い風が通って気持ちが良い。

『俺は大丈夫だから、みんな練習に戻ってくれ』と、そう口を開くのも億劫で。

何より彼が俺のすぐ傍に居てくれる事が心地よくて、あえて口を噤んでいた。



「すまん、無理をさせたか」



普段の彼では考えられない程気弱な声に、思わず目を開ける。



「すまない…蓮二」
「…弦一郎、」



思わず口をついた彼の名を呼ぶ俺の声は、予想外に掠れた弱々しい音で。

どうやら自分で思っているより体は悲鳴を上げていたらしい。

そんな体に鞭打って、片腕を彼の襟足に回す。

そうすれば勿論、彼は俺の方にかがみ込む他無く。



「蓮二、どうした」
「体が弱っている今、気も参ってしまっているのでしょう」
「俺達は練習に戻るとするかのう」



遠退く足音と、そよ風に頭上の木がそよぐ音が心地良く耳に反芻する。

抱き寄せた彼の火照った体の熱さえ、気だるい体を包み込んでくれる。



「…弦一郎…、」
「なんだ、どうした」



ひっそりと目を開けると、見えたのは、滲んだ木漏れ日と、引き寄せた彼の髪。



「弦一郎…」



再び目を閉じた時。

こめかみを生温い液体が流れ落ちた。





―――堕ちろ、



「…なんだ、もう一度言ってくれ」
「何でも、ない」



お前は俺を、堕としたくせに。

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ