長編小説
□タイトル未定
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「―――は?」
思わず間抜けな声を出してしまった。蓮二の背後にある倒れたままの人形は、何も変わったところはない。
「人形の中には、解り易く言えば―――異空間がある」
まあ俺にもよく解らないのだが、と蓮二は顎に手をやった。
「月が見えない暗い夜中にだけ、人形の中から外の様子を見る事は出来たんだが…外に出られたのは初めてだ」
「……何故人形の中になど…」
400年前と言えば、江戸時代辺りだ。そんな昔に人形に閉じ込められたのは何故なのか。
「妖狐に喰われたからだ」
さらり、と蓮二はそう言ったが、俺は再びは?と零した。
俺の様子にはお構い無しに、蓮二は顎に当てた手を軽く振った。
「喰われたと言っても、生まれた時から10歳迄の躰と記憶だけだが」
「……………」
「その為に15だった俺の存在が不安定になったから、人形を容器(いれもの)にしたらしい」
「―――待て待て、“何が”“何を”喰ったと?」
「妖狐が俺の10歳迄の躰と記憶を」
最早これはこのまま理解するしか無さそうだ。
「外に出られたのに…思い出せない」
蓮二が不審げに眉を顰めながらそう言った。
「……何を?」
「10歳迄の記憶」
それに、と蓮二は続ける。
「何故今夜人形から出られたのかも解らない。月が見えない夜などこれまでに何千回もあったのに」
「……蓮二、」
「なんだ、弦一郎」
「…妖狐とは?」
こう言った昔話には、小さい頃から興味を惹かれる。その“昔話”が今、御伽噺では無く経験として語られているのだ。
「俺がいた村では有名な、銀色の九尾の妖狐だ。好物は柔らかい子供の肉と交じり気の無い記憶」
一瞬怯みそうになったが堪えた。
「過去の肉体まで喰えるとは思っていなかったからな…油断した」
蓮二は、先程まで押さえていた喉元に軽く触れた。そこには、赤黒く小さな痣があった。妖狐に喰われた痕だろうか。
「夜が明けたら、また人形に逆戻りするだろうな。まだ躰が心許ない…」
そう言いながら蓮二は、自らがまるで壊れ物の様に腕や脚やらに触れた。
(この男は、)
目の前で軽く俯いて、躰中を確かめるかの様に撫でる蓮二を見つめながら、俺は物思いに耽っていた。
(綺麗……だな)
手足は着物からすらりと長く伸び、薄暗い部屋で浮かび上がる肌は磨き上げられた陶器の様で、白いこめかみに掛かる髪は細い絹糸の様だった。
(……らしくない)
人の容姿を褒めたことなどなかったのに―――いや、ここまで美しいと思えた人がいなかっただけかもしれない。
どちらにしろ、生物学上同じ種類に属する相手に見とれてしまった事が、自分で信じられないだけで。
「―――弦一郎、」
不意に声を掛けられ、俺は飛び上がった。
「な、なんだ」
「布団敷いてくれ」
「ふ……?」
布団だ布団、蓮二は片手を軽く振りながら言った。
「俺に畳の上で寝ろと?それとも人形の中に戻れとでも?」
「……戻れないのか」
「自然に引き戻される迄は御免だ」
蓮二はそう言って何とも流麗な仕草で立ち上がり、ぐるりと暗い部屋を見回した。
「あ、そこの襖の奥の部屋は」
「……俺の寝室だが」
まさかと思いつつも俺は、俺が寝ていた部屋の襖を開け放つ蓮二を目で追った。
「丁度いい」
にや、と蓮二はこちらを振り向きながら笑い、早速布団に潜り込み始めた。
「……おっ、おい…!?」
「まだ暖かい」
「それは俺の…、」
「だからほら」
ぺろっと掛け布団を捲り上げ、蓮二は空いている隣のスペースを叩いた。自分は当たり前の様に寝そべって寛いでいる。
俺はそれを見て、盛大に溜め息を吐いた。
しかしそれを見ても蓮二は、楽しそうにくすくす笑っているだけだった。